UK9報道部

良質な「コタツ記事」を目指します。海外ニュースがメイン。

シュクメルリからチキンキエフまで。ソ連は食の宝石箱だった?

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Pete LinforthによるPixabayからの画像

松屋のシュクメルリがしばらく話題でしたよね。ジョージアのお料理です。

私は吉野家はあるけど松屋(家から5分で行けるけど)に行ったことがない人なので、家でシュクメルリレシピを見て作ってみました。ガーリックの効いたクリームシチューという感じでした(合ってる?)もちろんおいしかったですよ。今やシチューの素みたいなシュクメルリの素まで発売されてますので、コース的にはカレーのポジションを目指すんでしょうかね。

 

で、最近第二弾でしょうか、松屋フーズより「チキンキエフ」が登場しております。

これね。

https://www.matsuyafoods.co.jp/matsunoya/whatsnew/images/211020_kiev_md.png

キエフとは、バターを鶏肉で巻いた伝統的なウクライナのかつ料理です」と説明されておりますが、めちゃくちゃおいしそうではありませんか!で、ウィキペディアで調べたところ、「伝統的なチキンキエフには手羽元の骨をつけたままにした胸肉を使う」とありました。手羽元からの胸肉って…ちょっとどうつながってるのかわかんないですね(笑)。日本では手に入れにくいのではと予想。

 

しかし「胸肉の代わりに鶏の挽肉を使うこともある」と書かれておりました。で、調べてみたところレシピが出てきましたね。

www.rbth.com

こちらの記事によりますと、チキンキエフの作者はフランスのシェフ、アメリカに移住したロシア人、ソ連のレストランなどいろいろあるものの、起源は謎だそうです。ロシアの文献に初めてチキンキエフが登場したのは1913年から1914年。「ハウスキーピング・ジャーナル」というのに挽肉の中にバターを入れ、卵とパン粉でコーティングしたものだと書かれていたそうです。このレシピは戦間期に忘れられ、第二次世界大戦後に鶏のフィレ肉(つまり胸肉か)を使って復活したのだそう。今ではロシアでも世界でもこの胸肉レシピが一般的な調理法だということです。なんと、鶏ひき肉が正統派だったんですね(松のやさん、聞いてる?)。

 

しかしミンチ肉レシピのほうも人気があり、こちらのほうが肉を薄くたたく必要がなく、やわらかいとのこと。また、パン粉には甘いブリオッシュを使うと絶妙なお味になるのだそうです。そしていただく際には、トーストした薄切りのパンの上に載せると、お肉の中のソースが切った際にしみこんでおいしいということでした。なんか、食べてみたいですよね。ただレシピを見ると、ヘルシーとされるチキン料理の割には、クリームやバターがたっぷり使われていて、しかも揚げ物なのでカロリーはかなりのものと思われます(汗)。

 

シュクメルリにしても、チキンキエフにしても、旧ソ連に属していた国の料理です。旧ソの料理ってどんなのかと思ったら、こういう記事もありましたよ。

www.saveur.com

バルト海から中央アジアまで、旧ソ連の料理を紹介する本「Please to the Table」を、アメリカに渡った移民の女性が書いていたそうです。1990年ごろ、ちょうどソ連が崩壊に向かってるころですね。

 

彼女は家族とともにアメリカに移民したんですが、その後も強くロシア文化につながっていたかったようです。モスクワに住んでいた子供時代には、海外旅行は無理なので、黒海沿岸のオデッサウズベキスタンジョージア(当時グルジア)に行ってみたいと思っていたそう。自分にとってのエキゾチックがそういった場所で、今思えばプロパガンダ信者だったそうですが、ソ連の多様性に魅了されていたそうです。

 

アメリカではピアニストを目指して学んだものの、手を痛めたため断念。イタリアに住んでいたこともあり、しばらくイタリア語の料理本を英訳していたそうなのですが、それなら自分で料理本を書いたほうがよいと思い、彼氏とともにソビエト料理の企画書を書いたところ、本となって賞を取り、Amazonの人気本にもなってしまったんだそうです。

 

彼女によれば、ソ連と言えば、パンを買うのに行列、魚はニシンで人々は飢えているというイメージがアメリカにはあったのだそう(私もそうでした)。実際には、各地で多様な料理があり、例えばアゼルバイジャンでは栗やカボチャを具材に使ったピラフがあり、ウズベキスタンコリアンダー饅頭はほとんど中華料理と同じだったと話しています。モスクワのロシア料理のイメージとは全く違うと。

 

ソ連が崩壊した後、食に関しては新しい国民意識が生まれているんだそうです。食べ物はより独自なものになり、旧ソ連の国々ではどこの国のピラフがおいしいかとか、どこの国が自分たちの料理を盗用したとかで盛り上がっているようですが、結局料理は同じであり続けることはないというのが彼女の意見です。また、ロシアとウクライナの間でボルシチの起源を巡っての国粋主義的争いがあると言いますが、料理は国境が出来る前から存在していたのであり、食における文化の盗用と言えるのだろうかと。争いは地政学的状況をよく表しており、誰が作ったというのは本当は別問題だと述べています。

 

まあ、そうですね。島国日本だって、じゃあラーメン、餃子、カレーとかいったい何料理なんだと言われると、ハイブリッド料理なのかもしれません。この本はレシピ以外にも旧ソの面白い食文化の情報もいっぱい入っているようで、読んでみたいですね。Amazonでみたら5000円以上の高い本だったので今は断念ですが、挽肉のチキンキエフは作ってみたいと思います。

 

ちなみにこの本の副題は、The Russian Cookbook(ロシアの料理本)でして、出版当時はソビエト料理本と呼ばないほうがいいと思ったため、代わりにロシアとしたのだそうです。その後ウクライナ人やアルメニア人から怒涛のご批判が来たとのこと(ありそう、笑)。今ならUSSRソ連の英語略称)と副題に入れてもレトロでクールと思われるのではないかということです。

 

もはや環境汚染の輸出?海を渡るリサイクル古着の実態

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bernswaelzによるPixabayからの画像

実は私結構シンプルライフに憧れています。

 

母親が典型的昭和の物欲旺盛なおばちゃんで、お菓子の包装紙やら古雑誌、無料のおまけの品までなんでも取っておく人でした。絶対に使うことのなさそうなものでも、なんかあったときに役立つと思っていたのか、はたまた捨てる=もったいないという思考が働いていたのか、とにかく子供時代の我が家には物があふれていたのでした。母は曲がりなりにも整理しようと思っており、物を片付けるためにさらに家具や箱を買い、何というか常に我々は物に挟まって生きているような感じだったのです(とほほ…)。

 

なので、反面教師といいますか、娘の私は物を溜めるのが大嫌いでして、定期的に処分してしまいます(ちなみに姉もそうです)。特に衣類。自分のはもちろん、子供たちはすぐ大きくなるので、結構溜まってたんですよね。きれいなものはお安くしてメルカリとかに出すとよく売れるんですが、ちょっと古くさくなったのや、汚れたものなどは、町内で月1回集めてもらえる古着のリサイクルに出していました。こういうのって、途上国に送られ、古着ビジネスでリサイクルされるんだと思っていました。

 

実は以前にファストファッションについての記事を書いたんですが、そのときに古着はリサイクルしないと環境汚染につながるって知ったんです。

この記事です。

newsphere.jp

話自体はファストファッションと呼ばれるいわゆる低価格ですぐダメになってしまう衣類の問題点を指摘するものでした。アメリカのジャーナリストの本の指摘をご紹介したものだったのですが、大量のファストファッション系の洋服がアメリカで捨てられていて、埋め立てられていると書いてあったんです。日本はごみを焼却することが多いのですが、土地の広いアメリカでは埋めたほうが安いみたいで、生分解されない衣類の化学繊維などが環境汚染を引き起こしているということでした。

 

やはり捨てるよりリサイクルだ!と鼻息荒く結論し、一生懸命売れない古着をリサイクルの日にまとめて出していたんですが、それがたどり着いた先で問題を起こしていると知ったのがつい最近です。

 

www.bbc.com

この映像ニュースを見て、愕然としました。私は海を渡った古着がアフリカなどで取引されていると思っていたんですが、実は大多数の古着はファストファッション系で、売り物にならないぐらい低品質なんだそうです。結局売れるものはほんの少しで、残りは現地で山積みのごみとなって埋め立てられ、その土地を汚染しているということです。つまり、先進国の衣類ゴミを途上国に輸出する形になっているんです。詳細はぜひ映像を見てください。

 

私、良かれと思って安物衣類をリサイクル出していたんですが、そんなことなら国内でゴミとして処理したほうがよっぽど途上国のためだったと気づきました。以来、よれよれのTシャツなどは切ってお掃除に使ったり、揚げ物をした後の油をしみこませてごみの日に出すようにしています。主婦の知恵(笑)。

 

リサイクルって良いことに感じますが、常にそうとも限らないんですね。前出のジャーナリストさんも言っていますが、衣料品素材のリサイクル技術が確立されるまでは、消費者が責任を持つべきでしょう。不要な衣類を買わない、捨てるぐらいまで着倒す、というのは大事です。実はこの夏コロナ禍で外出をしなくなって、Tシャツ数枚、短パン数枚で過ごせてしまいました。最初からそれでよかったんですよ。

 

シンプルな生活実現のため、目の前からいらないものを消すというやり方は意図せず他人の迷惑になっていたことに気づきました。申し訳ないんですが、断捨離もやり方によっては悪であり、近藤麻理恵さんにも猛省を促したいところです(ホント)。消費が増えないとデフレから脱却はできないという問題はさておき、今後はなにか買う前に、本当に必要か、今あるもので間に合わないかを考えたいですね。

アメリカやっぱり自己中。脱中国AUKUS同盟でも豪に不安が残る訳

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OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像

涼しくなってきたと思いきや、今日はとっても暑い我が町です。エアコンまではいかないけど、そろそろしまおうと思った扇風機がフル稼働中です。

 

さて、ちょいと前にメディアを賑わせたオーストラリアの新アングロサクソン同盟(?)入りですが、秋とともに静かになってきました。仕事柄毎日グーグルニュースチェックをしていますが、最近は騒ぎも静まって、背景やこれからを深く分析した記事などが増えていると感じます。

 

面白かったものの一つですが、

www.politico.eu

 

タイトルは「どのようにして習近平はオーストラリアを失ったのか」です。

 

思えば豪はしばらく中国と蜜月時代がありました。そこから思いっきり方向転換したわけですが、そこまでに至る経緯を説明しています。

 

習近平主席が中国共産党のトップに立った2012年、豪は戦略地政学上の転換期の真っ最中だったということです。そもそも豪は植民地→英連邦にルーツを持ち、アジア太平洋地域のアメリカの番頭さん(笑)みたいな役割だったのですが、これからはアジアの時代ということで、独自にアジアにおける足場を築こうとしていました。その流れから地域の大国である中国に接近したわけです。

 

豪にしてみれば2国間の新時代が築かれるはずでしたが、そうはならなかった。中国もまた自分たちの軸足を固め、世界の経済や技術の力で超大国になろうと企てていたからです。表向きは誠実さと信頼を約束しつつ、西側同盟を切り崩すためまず豪を利用したということです。

 

その後は豪政府関連施設へのハッキング、豪中国語メディアへの攻撃、豪政治に対する中国ビジネスを通じての関与などを中国は次々と行いました。豪政府がコロナウイルスの起源の再調査を求めると、貿易規制を連発して反撃。また、南シナ海、香港、台湾といった豪の近隣地域で力による主張も高めていました。

 

こういった中国の戦狼外交が積もりに積もって、豪が逆噴射したというのが現在です。中国との貿易で距離を置こうとするなか、米英との軍事面での強化を豪は決断。さまざまないじめにあったことで、フランスとの潜水艦契約をぶっちぎってでも(これに関しては私の前の記事参照)、最悪の事態を想定して英米との協力に走ったとのことです。

 

豪戦略政策研究所(ASPI)のマイケル・シューブリッジ氏によれば、習近平氏は10年前には考えられなかった変化を起こしてしまったということです。まず2016年当時では原子力技術は無理としていた豪の政策を変えてしまったこと。そして互いの原子力技術の共有を認めていた英米が豪にもそれを共有することにシフトしたことだそうです。

 

潜水艦の件で欧州、とくにフランスはいい気持ちはしていませんが、豪貿易相ダン・テハン氏は、例え仲がこじれても「主権第一」という原則は曲げないとしています。シューブリッジ氏は、今は欧州は米豪に敵対的に感じるが、ほとぼりが冷めれば、アメリカのもとに帰ってくると見ています。対中感情は世界で悪化しており、豪に対するような中国のアクションは、西側の結束を結局強めるだろうとしています。

 

そういえば一帯一路の国々でも最近中国不人気ですし、欧州も中国警戒ムードが確かに広がってます。だからみんなで前みたいにアメリカのもとで団結して、中国に立ち向かうぞ!てな話になるかというと、実はそんな簡単なことではないようです。

 

theconversation.com

 

こちらはシドニー工科大学の教授ジェームス・ローレンスソン氏の寄稿です。中国に対抗するためにアメリカに経済的同盟を求めるのは間違いだという記事です。

 

中国による貿易攻撃に直面している豪は米に実質的な支援を求めていると同氏は言いますが、どうも米の支援は口先だけではないかということです。それどころか、米は豪の被害になるような選択に固執しているとのこと。

 

例えば、オバマ時代から米はWTO世界貿易機関)の審判機関に新たな裁判官を任命することを阻止しています。米中のような力を持たない豪にしてみればWTOのルールを各国が遵守することで自国の利益を守ることが必要ですが、その機会をアメリカの行動によって奪われています。

 

さらに、2020年に米が中国に圧力をかけて署名させた二国間貿易協定の実現をアメリカが主張しています。この協定により、米の生産者は中国市場へのアクセスが豪よりも有利になってしまう上に、大国が力で他国を強制することができることを、中国に示すことにもなってしまいます。

 

それでもモリソン豪首相は、「二国間の戦略的協力は経済問題にまで拡大されなければならない」としており、中国からの経済への攻撃に同盟で対応することを強く望んでいます。モリソン首相は米豪の定期的な経済対話を提案したといいますが、アメリカの反応は薄かったようです(涙)。

 

ローレンスソン氏は、経済同盟を懸念しています。その理由は、まず中国が豪に与えた痛手が限定的であることです。実は中国に圧力をかけられた輸出品において豪の輸出業者が負担したコストは輸出総額の10%未満だったとのこと。また、2021年上半期の豪の対中商品輸出は、2019年に作られた最高記録を37%上回っていました。これが意味するのは、中国の圧力の効き目はなく、豪経済は米の支援なしでも嵐を乗り切ることができるということです。

 

さらに、豪が希望するのは、中国がグローバルな貿易ルールに従うことですが、米との安全保障条約では国際貿易のルールを作ることはできません。そのうえ米は中国を戦略的ライバルに位置付けているため、豪が米との経済同盟を結ぶという考えが受け入れられるほど、豪が米とともに中国との「永遠の戦争」に巻き込まれる危険性が高まり、経済的利益がお流れになってしまう可能性もあります。

 

今後アメリカは豪を横目に中国との二国間協定を可能性さえあり、豪は経済面ではアメリカと結ばれないほうがよいという意見です。

 

結局アメリカが同盟国との多国間貿易協定に入らず、経済では独自に動くということであれば、豪のみでなく他国もやはり考えてしまいますよね。どの国も中国との貿易は大切ですから、少なくとも経済で脱中国を唱える国は出そうにない。むしろTPPのようなグループに入れて、少しずつでもルールのなかに組み入れようという考え方のほうが支持される可能性もありますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中国、そして台湾も加入申請。アメリカはどうする?TPPが面白くなって参りました!

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Michael GaidaによるPixabayからの画像

環太平洋連携協定(TPP)が大変なことになってきました。TPPは、そもそもニュージーランドシンガポールなどが大所帯の世界貿易機関WTO)で決められない貿易ルールを新たな枠組みで決めましょうと集まったのが始まり。そこに2008年から日本やアメリカなどが加わって、12か国でやろうということになりました。中国が台頭するなか、オバマ元大統領が中国のやり方に振り回されず、高度に自由化された貿易圏を作ろうということでアメリカが中心となって進んでいたわけです。経済だけでなく安全保障面にも影響するもので、メディアや識者からは対中包囲網と捉えられることも多かったと思います。

 

交渉を重ね、各国が譲歩し、2015年にまとまったのですが、雇用を奪うなどと国内から支持を得られず→米議会で批准されず→オバマ嫌いのトランプ大統領保護主義が盛り上がる中で脱退を2017年に表明。「アメリカ抜きじゃお流れ」的ムードとなりましたが、当時の安倍首相が崩壊を食い止め(ファインプレー!)、米抜きのTPP11で再出発。無事2018年に発効の運びとなりました。ただ、アメリカ抜きなので規模はぐっと小さくなっています。それでもNHKによりますと、2018年時点で世界のGDPの13%、貿易額の15%、人口5億人がカバーされているとのことです。

 

で、11か国以外に新たに飛び込んできたのがEUを抜けたイギリスです。加入申請をし交渉開始と報じられ、なんとなく日本のなかでも「環太平洋じゃないけどまあいっかな。新メンバ-増えるのよいことよね」っていう受け止めが多かったと思いますね。ここまでは平和だった、はい。

 

ところが、9月16日に中国が申請を正式に発表。対中カウンターバランスを目的に作られた関税同盟に、親分アメリカが離脱の後に中国が入るのかと、大きな驚きとして報じられました。そして続いて22日にはなんと台湾が加入申請すると表明。表向き一つの中国から二つの中国が手を挙げたわけで、なんとも困った感じになっているのが今です。

 

もともと両国ともTPP加入は検討していたんですが、気になるのが「なぜ今?」というそれぞれの意図です。中国の場合は豪潜水艦事件からの米英豪の新同盟の直後に加入申請を発表していることから、それに対する返答という見方もあるようです。台湾の場合は読売新聞によれば、中国の正式申請を受けて急いだということです。

 

中国のほうですが、面白いと思った識者の意見をご紹介します。

国際政策シンクタンクPerth USAsia Cetreのジェフリー・ウィルソンさんというリサーチディレクターの方です。いつものようにざっくり訳していきます。

 

かつてアメリカが米の地域的利益を促進するための「空母戦闘群」に当たるとまで言ったTPPに中国が参加しようとすることはどんな意味があるのだろう。

 

まず現実的に、中国の参加には国家資本主義モデルの構造改革が必要になり、これは政治体制的に絶対にできない。例えば加盟により中国の産業生態系の根本的な改革となる国有企業についてのコミットメントが必要になる。環境、労働、サービス、透明性といった必要条件は言う間でもなく、実現はしないだろう。

 

だから加入が目的でないのなら、2つの異なる動機が考えられる。一つは、台湾の加盟阻止だ。台湾より先に申請すれば、台湾の加入はほぼ不可能だ。既存のメンバーは二つの中国のどちらを選ぶか迫られる。日豪は勇気をもって対応するかもしれないが、他のメンバーは違う。

 

二つ目は、いつもながらの嫌がらせだ。中国は経済協力に熱心とアピールすることでアメリカに代わるパートナーとして外交的に売り込むことができる。また国内を分裂させるという側面もある。日豪などには対中政策の軟化を求めるグループがあり、彼らは加盟すれば中国も外国政策を弱めてくるなどのメリットがあると主張してくるだろう。

 

もちろん現メンバーが罠にかかる可能性はゼロとは言えないが、中国は豪と貿易戦争中、カナダには人質外交を展開(ちなみにこちらはファーウェイ副会長が司法取引で起訴猶予となり、その人質だったカナダ人2人が解放され今月25日に解決した模様です)、日本には尖閣問題があり、今のところ申請を容認することはないだろう。

 

中国との交渉開始には、メンバーのコンセンサスが必要なので、完全に拒否されるかもしれないが、まずはイギリスの申請からという言い訳で問題は先送りされるだろう。損失を被るのは加入申請間近だった台湾ではないか。

 

中国の今回の動きは、短期的には台湾加入を阻止し、反米メッセージを強化するという実質的にコストのかからないパワームーブ(他がやらないことをやって自分を優位な立場におくこと)に見える。いずれ周囲の批判や反対を受け入れないため真実が見えなくなった「裸の王様」であることが分かるので、長期的には中国のダメージになる可能性もあるだろう。

 

オーストラリアの方のようですので、かなり辛辣ですね。この時点では台湾がすぐ申請するとは思っていなかったようですが、その後のツイートでは、メンバー各国が一方に肩入れと取られては困ってしまうので、両方加入か両方却下の2択になるのではとしています。TPPメンバーシップが、インド太平洋地域を形成するより広範な戦略的競争の代理戦場になりそうだということです。

 

アメリカからの辛辣な意見も出ています。

www.nytimes.com

こちらはNYTのコラムニストでピュリッツァー賞複数回受賞の著名なジャーナリスト、トーマス・フリードマンのものです。とっても長いので短く訳します。

 

もともと中国にとってTPPはまさに脅威だった。中国の改革派にとっては中国を変えるかもと期待できるもので、強硬派にとってはアメリカのルールを飲まされるという潜水艦以上の恐怖だったわけだ。ところが、アメリカが抜けてしまった。その穴を中国が埋めますよ、と言って乗っ取れば、これは米英豪の潜水艦取引に対抗するのにはこの上ない一手だ。すぐに加盟はできなくても中国は一部の要求事項を満たしながらお茶を濁しつつ他の加盟国を誘惑して入り込めると見る専門家もいる。

 

TPPはアメリカではトランプだけでなく民主党の左派からも理解されず、推していたヒラリー・クリントンでさえもトランプとの選挙戦のため逃げ出してしまった。他のメンバー国は、TPPでこれまでになかった貿易上の譲歩をアメリカに与えたのに、アメリカが手を引いたことで今度は中国がアメリカの代わりとして収まろうとしている。今からでも遅くはないので、アメリカはTPPに戻るべきだ。例え中国が加盟したとしても中国だけを利することは阻止できる。何年もかけて潜水艦作りを手伝うより今TPPに入るほうがいい。なぜなら潜水艦ができたころには、CPTPPは、「Chinese People's Trans-Pacific Partnersship」に名前を変えているだろうから。

 

ただアメリカ国内は非常に保護主義に傾いていますので、事実上戻るのは難しいという意見もあります。一般のアメリカ人にはTPPの意義もわからないでしょう。著名な識者でも、TPPとRCEPを混同している人もいるぐらいです(この記事!読める方どうぞ)

 

こちらの香港紙の記事も面白いです。

www.scmp.com

政治リスクコンサルタント会社、ユーラシア・グループのアナリストによれば、中国は自国の裏庭で軍事的、外交的な対抗措置が強化されていくことを認識しており、それを相殺するのが経済パワーだと見ているそうです。アジア・太平洋地域における貿易戦略の欠如がおそらくアメリカの最大のアキレス腱だと見ており、それに対抗するのがTPPへの加盟だということです。

 

香港城市大学のジュリアン・チャイス氏も、オバマ政権でとん挫して以来、新たなアジア太平洋戦略をアメリカは打ち出していないと指摘。アイデアはいくつかあっても、安全保障、貿易、その他を含む統合的な戦略が明らかに不足しているとしています。すべてが解決するというものではありませんが、今TPPに戻るのが最善としており、このあたりはフリードマン氏と同意見のようです。

 

中国の申請が米英豪の新同盟への対抗策であり、TPP11の結束力を見ようとしているという意見もありますが、実は本気でTPPに入ろうとしているという見方も紹介されています。アジアの識者の中には、厳しいTPPのルールに合わせて国内を改革し、経済のさらなる合理化を目指しているという意見や、TPP参加で経済開放ペースが加速し中国にとってはプラスという意見もあるようです。もともと毛沢東時代から様々な領域で同時進行の発展を維持するという戦略が中国にはあり、地域、二国間、多国間のどの協定にも興味を示しているとのこと。よってTPPのような貿易協定は、中国の長年の国内目標に合致するものだということです。

 

ということで、中国の意図がホントに知りたいところですね。交渉にはかなりの時間がかかるということで、答え合わせはすぐにとはいかないようです。また今後のアメリカの出方も気になるところですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フランスお怒りで外交問題に発展か?豪潜水艦プロジェクト騒動を解説

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Kim HeimbuchによるPixabayからの画像

私オーストラリアって20年ぐらい前に行ってるんですが、結構のんびりしたステーキのおいしいところっていうイメージから止まっております(笑)。そもそもダウンアンダーという世界の中心から遠いところと長年見られていたわけですが、実は近年中国の台頭でインド太平洋地域の安全保障上の役割がマシマシの国になっているようです。

 

で、今回出たのが潜水艦問題。実はこたつライターの得意分野なのでありました(鼻息!)。なぜなら私は2015年ごろに豪潜水艦プロジェクトについての記事を発注されて以来、このネタで何度も書いてきたからです。軍事オタクとかでは全くなく、技術的な部分は今でも理解できないことが多いのですが、書いてるうちにプロジェクト自体の経緯&展開に詳しくなってしまいました。

 

そもそも豪潜水艦プロジェクトは、老朽化したコリンズ級という潜水艦から新しいのにしましょうというもので、2014年ぐらいから話題となり、当時の首相の安倍さんの大プッシュもあって、日本の潜水艦「そうりゅう」が受注確実とまで言われてたんですね。4兆円プロジェクトという大型案件で、日本でも期待が高まり盛り上がりました。ところがその後日仏独の受注合戦となり、なんとフランスが受注しちゃったわけです。しかし、このフランスとの合作がめちゃくちゃ問題化していたというのが現実でした。

 

以下当時書いた記事をいくつか。

newsphere.jp

2018年ごろから計画が遅れているというニュースが頻繁に出始めました。期待させられたのに受注を逃した日本の軍事ファンの間からは、「ほらね」的な感想が…。日本の買っておけばよかったという識者の意見にも「どうせ中国とオーストラリアは蜜月だから日本の潜水艦なんかやらんでもよろしい」などの冷たいコメントが出ていたのを覚えています(涙)。

newsphere.jp

で、今年になると、遅れに加えコスト増大&国内建造固執というハードルが問題になっていると報じられています。このころから契約キャンセルかといううわさも。

 

そして今週ついにフランスを切って英米協力で原子力潜水艦を建造する、という新たな計画が発表されました。

newsphere.jp

豪にとって今でも中国は輸出の面では大事なお客様なのですが、このところいろいろ対立があり、以前の蜜月はどこへやらという冷え込み方です。そこで中国の脅威を念頭に米英豪の3か国で新たな同盟を作り、英米で協力して豪に世界でも数少ない米の技術を使った原子力潜水艦を作ってあげよう!というお話に豪が飛びついたという感じになっています。フランスははしご外されて激おこ…。

 

この計画変更ですが、どういう経緯だったのかを政治誌ポリティコが説明してくれています。

www.politico.eu

どうもフランスとの契約をやめようというのは6月ぐらいから固まってきていたようです。4月にはプロジェクトの次の段階の契約締結を豪が拒否していたということ。上院委員会でも、フランスとの取引をやめた場合の選択肢を検討してきたと国防長官が述べていました。

 

オーストラリアン・フィナンシャル・レビュー誌によると、7月のイギリスでのG7サミットで、バイデン、英ジョンソン、豪モリソンの三者会談が開かれていました。この時はバイデン氏がモリソン氏に一対一の対談の機会を与えず、冷遇したと解釈されていたそうです。しかし今思えば、この会談は潜水艦に関する大事なものだった可能性があるということでした。きっとそうでしょうね。

 

契約解除を望む理由としてあげられているのが、まずプロジェクトを受注した仏ナーバル・グループの前身DCNSが、ハッキングを受けて潜水艦に関する文書2万件以上が流出したという事件が露呈したことだそう。これにより、フランス企業とのプロジェクトの安全に懸念が示されました。特に野党がかみついたことが大きかったようです。

 

さらに、問題だったのはコスト増大です。豪はフランスのバラクーダ級の潜水艦なら、ディーゼルから原子力に変更ができる点で熱心だったとされていますが、費用はその後2倍に膨れ上がり、メンテナンスも入れれば予想以上の金額になることが改めて示されました。

 

また、最初の潜水艦が納入されるのは2035年以降、さらに建造自体は2050年まで続くということになり、2026年に退役が予定されていたコリンズ級に代わる潜水艦としては納期が遅すぎるという問題もありました。プロジェクト自体も遅延しており、コリンズ級を修理しながらでも、待ちきれないということだったようです。

 

ポリティコ誌は、最大の問題は、地元産業の関与をめぐる争いだったかもと述べています。そもそも、2016年の契約では、建造は国内で行われ、地元で90%製造、2800人の雇用を維持するというものでした。しかしフランス側はこの条件を改定したうえに、豪の産業自体が満足なレベルに達していないと反発していたということです。

 

豪は何年も前からプロジェクトの問題を認識していたのに、なぜ今になって契約を解除したのか?という疑問が残りますが、単に代替案を待っておりそれがやってきたからということのようです。豪にしてみれば、英米との新同盟で原潜が手に入り、しかも国内で建造できるという新たな道が開けたわけです。

 

これに対して、フランスは同盟国であるアメリカに怒り心頭。バイデン大統領のやり方は、前任のトランプ氏を彷彿させるとフランスの外相は発言しました。今日になってフランスが駐米、駐豪大使の召還を決定したというニュースも出ています。

 

フランス側は、豪の動きに対抗するとしており、すでに2019年に政府間協定に署名しているのに、どうやって契約を解除するのかと述べているそうです。2017年の豪とナーバル・グループとの契約では、豪政府と仏企業のどちらかが「当事者の契約実施能力が『例外的な出来事、状況、事柄により、根本的に影響を受ける』場合には、一方的に契約を解除できる」とされているとのこと。遅延やコスト超過、約束の不履行がこの条件に当てはまるかどうかは、裁判所の判断にゆだねられることになりそうだとポリティコ誌は述べています。

 

もし豪政府が撤退を決めた場合、契約書では「両者は継続のため共通の認識を得られるかどうか協議し、12か月以内に共通の認識が得られないなら、最初の契約終了通知の受領から24か月後に契約終了が有効になる」と規定されているとのこと。英米は18か月かけて新型原潜の技術をどのように提供するか検討するとしていますので、タイミング的にはばっちりではないかとポリティコ誌は述べています。

 

上院議員によれば、すでに20億豪ドル(1600億円)がプロジェクトに費やされたということですが、撤退費用を払っても、継続よりも撤退のほうがコストは大幅に少ないと地元メディアに述べたそうです。オーストラリアン・フィナンシャル・レビュー誌は、フランスとの契約終了で納税者には4億豪ドル(320億円)の負担が発生しそうだとしています。

 

なんだかとってもお高いプロジェクトになってしまったようですが、新たな契約での原潜のほうはお値段どのぐらいになるんでしょうね。今度ばかりは、「やーめた」は国民から許されないと思います。個人的には、最初っから日本の潜水艦買ってくれてればよかったのにと思いますけどね(溜息…)。

 

訂正:G7会合は7月ではなく6月でした。ネタ元のオーストラリアン・フィナンシャル・レビューのは7月になっていましたが、そちらが間違いだったようです。

 

 

 

 

 

 

 

やがて「ただの風邪」へ。新型コロナはどう収束するのか?

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Orna WachmanによるPixabayからの画像

全国的にコロナ感染者数減ってきましたね。

ワクチン接種も進んでいます。日本政府はワクチン確保でグッドジョブ、日本の死者や感染者数は依然として他国と比べれば少ないですし、オリパラもやって国際貢献で、菅さんは言われるほど悪くなかったかなと。個人的には、顔に花がなかった&コミュ力不足が響いたんではないかと思います。次の総理は誰がなってもやはりまずはコロナ対策ですね。

 

さて、国外を見ますと、ワクチン接種をいち早く開始して普通の生活に戻れる公算だったアメリカに、デルタ株の感染拡大でまたもや大波がやってきております。ワクチンだけで解決できないことが分かった今、いったい今後どうやってパンデミックは終わりを迎えるのかという記事がでています。

 

www.theatlantic.com

私の大好きなアトランティック誌のライターEd Yongの記事です。コロナ関連でとても分かりやすく的確な情報を発信し続けており、その功績でピュリッツァー賞を取ってます。科学ジャーナリストですが、動物ものなんかも得意ですね。

 

記事では、ワクチン接種が進んだものの、デルタ株登場でワクチンだけでの問題解決は現実的ではなくなったと述べています。ブレイクスルー感染や子供の感染の増加が深刻なんですが、この次はどうなるかというのを専門家に聞いています。いつものようにざっくり訳でいきます。

 

ロンドン大学衛生熱帯医学大学院のアダム・クチャルスキー氏は、ワクチン接種率が上がると、感染の波は小さくなり、管理しやすくなると言います。しかし、十分な人口が免疫を持ち自動的に感染が収まる状態=集団免疫には、ワクチン接種だけでは到達しそうにないとしています。最低でも人口の90%が接種しなければ集団免疫は達成されないと見られ、現在利用できるワクチンでは数学的にそれは不可能です。

 

つまり、ゼロ・コロナは幻想であり、パンデミックの終焉は、ほとんどの人がワクチンか自然感染を通じて、免疫を持ったときとなります。そうすれば、感染の急増のサイクルは止まり、パンデミックは次第に消滅します。そして新型コロナは風邪を引き起こすコロナウイルスと同様に繰り返し起こる生活の一部ととなります。今までよりも問題にならなくなるのは、ウイルスの性質が変わったからではなく、ウイルスがもはや新型ではなくなり、人類が免疫学的に脆弱ではなくなったからということになります。

 

クチャルスキー氏は2020年3月から新型コロナはエンデミック(地域的、季節的な感染)になると述べていましたが、結果的にそうならざるを得ないとしています。以前はゼロは目指せると思っていたそうですが、デルタが状況を変えてしまったということです。

 

私の同僚、ジェームズ・ハンブリンは、ウイルスが今後も存続し続けるのであれば、ほとんどの人が生きている間に一度はどこかで遭遇することになるとしています。多くの人が懸命に感染を避けようと努力してきたので、この事実は受け入れがたいかもしれません。しかし、エモリー大学の感染症専門家ジェニー・ラヴィーン氏は、ウイルスだけでは恐ろしくないと言います。問題はウイルスと未熟な免疫システムの組み合わせであり、後者がなくなればウイルスはそれほど怖いものではないとしています。

 

ワクチンを接種することで、新型コロナウイルスとCOVID-19という病気を切り離すことができます。いずれはワクチン接種済みでも感染してしまいますが、その結果重症になるには及びません。不快な症状が出る人も回復するでしょうし、多くは感染しても気づかないままでしょう。将来的には、2年前と同じような生活が戻り、誰かに移され治るという時代が来るでしょうが、まだ我々はそこまで到達はしていないとラヴィーン氏は話しています。

 

私が話を聞いた専門家で、いつそのような状況になるのかを予測した人はいませんでした。デルタ株が夏の間にワクチン未接種者に行き渡ることで今後の感染急増はないと見る人もいますが、まだワクチン接種をしていない人が多いため、秋、冬の感染急増もあると、ジョンズ・ホプキンズ大学のケイトリン・リバーズ氏は見ています。

 

パンデミックは終わりますが、まだ世界の多くの国ではワクチン接種が進んでいないため、こういった国にとっては今年はロックダウンや壊滅的感染拡大などの厳しい年になるだろうとクチャルスキー氏は述べています。英米はエンデミックの道に向かっているものの、まだ終わりは見えておらず、今後も困難が待ち受けているとしています。

 

結局人類は新型コロナとの微妙な平和に向かうでしょう。集団感染はよりまれで小規模になるが、免疫力のない赤ちゃんが多く生まれれば発生の可能性はあるでしょう。大人の場合は免疫力が大幅に低下した時点でブースターが必要になりそうですが、少なくとも現在のデータによれば、2年は起こらないでしょう。ただ、懸念されるのは現在の免疫防御を逃れる新たな変異種の登場で、ウイルスの拡散を許せばその可能性は高まります。

 

「コロナはただの風邪」という人がいますが、そこまで行くには、ワクチンと自然感染で人間の免疫システムがコロナ慣れしないとダメということのようです。しかし、2年はブースター不要っていうのは「ん?」です。コロナがただの風邪になった未来の話なんでしょうか?今はワクチン効果は6か月と思っていたので、ちょっとその辺が謎です。1か月前の記事なので、その間に状況が変わったんでしょうかねぇ。

 

実は、「コロナは風邪になる」とドイツの疫学者、クリスティアン・ドロステン氏も言っています

 

 

ドイツ語のポッドキャストの内容を英訳された方のツイートですが、やはりワクチンでエンデミックになるとドロステン氏は言っています。そもそも集団免疫とウイルス撲滅のゼロコロナを混同する議論があるが、ゼロコロナをゴールとしたことはないと述べています。

 

ドイツでは、ワクチンで人口レベルの感染からの保護を達成した後、ウィズコロナで生きることを目指します。ウィズコロナはワクチン接種が不十分な間は危険で、まず死亡率を下げてウイルスが静かに人口のなかに広がることが必要です。普通の風邪になるかは国民次第、そしてワクチン接種率次第ということです。

 

ワクチン効果が薄れることでブースター接種という考えもありますが、ブースターを繰り返すことを目的とはしていません。エンデミックになるということは普通の風邪を目指すことですが、ブースターではなく、ウイルスとの繰り返す接触によってできる状況で、これにより集団の免疫力はより回復力を持ちます。こっちのほうがより長持ちして強い粘膜免疫を作ります。

 

私が望む免疫は、ワクチンで免疫を作り、その後1回、2回、3回と一般的な感染をすることです。そうすれば私は長期的な免疫を獲得し、新型コロナウイルスには数年に1度、他のコロナウイルス同様に遭遇するだけになります。これは健康な成人だけができることで、全員ができるわけではありません。

 

ちなみにドロステン氏は、ブースターを受けられるならぜひ受けたいということ。ただし、途上国の接種分のために今は遠慮しておくということでした。

しかし、ワクチン後に自然感染で免疫力アップというのは、ちょっと怖い気もしますね…。どうもドロステン氏は粘膜免疫は自然感染からのほうが付きやすいと考えているようです。

 

とにかく、早くコロナがただの風邪になり、みんなで会って楽しく過ごせる日が戻ってくることを願います。そのためにもまずはワクチン接種ですね。

 

 

 

 

 

 

アメリカはアフガニスタンで何を間違えたのか?9人の識者の見方

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Amber ClayによるPixabayからの画像

アフガニスタン情勢、日々ニュースが出ていますが、本日をもってアメリカは、撤収完了となりました。

 

現地に混乱を引き起こしたまま、予定通り出て行ったわけですが、ウォール・ストリート・ジャーナル紙でこんな記事を見つけたので読んでみました。www.wsj.com

8月21日に更新された記事ですからそれ以前に出ていたものと思われます。複数の識者が「アフガニスタンで何がうまくいかなかったのか」について各自の意見を述べております。全員は知らないんですが、かなり有名な方々のようですね。なんと全部がっつり批判でした(涙)。長いので、DeepLさんとのコラボのザクっと訳で(そんなにずれてないと思います)それぞれご紹介します。

 

1. ダニエル・プレトカ(保守系シンクタンクアメリカン・エンターブライズ研究所シニアフェロー)

 そもそもアメリカ人は良い悪い、勝ち負けなど白黒をはっきりつけたがる。「より良い現状を維持する」というのは、我々にとって強い呼びかけではない。

 アフガニスタンではうまくいかないことがたくさんあったが、過激派に国を渡さないという取り組みにとっては致命的なものではなかった。一定の成果にも関わらず、この10年以上、アフガニスタンでの戦いが価値あるものだとし、アフガニスタンの進歩を称賛した大統領はいなかった。テロリスト復活の時代に戻るのを遅らせ、アメリカ人の安全を守るため犠牲を払ってくれているのがアフガニスタンの人々であることも誰も思い出させてくれなかった。数千人の兵力があれば我々は安全だと言い切れる指導者もいなかった。

 その代わりに、バイデン大統領は、20年たっても勝てなかったのでもうやめようといった。しかしアメリカは一度勝ったあとに負けを選んだのだ。我々は必然的に、自分たちの安全のためにまたアフガニスタンに戻ることになるだろう。

 

現状維持がなんでできなかったのか、ということでしょうか。筆者が保守系ネオコンというところは注意ですが、一理ある。撤退後、安全保障的に方針転換せざるを得なくなり、またアメリカが戻ってくるという考えのようですが、そこについての詳細は触れられてないです。

 

2. スティーブン・ウォルト(ハーバード大学ケネディ行政大学院教授)

 アメリカが失敗した大きな理由は二つある。アフガニスタンを西洋式の自由民主主義国家にするというミッションが無理だったこと。そしてアフガニスタンでの作戦を実行した側が、進捗状況と成功の見通しについて嘘をついていたことだ。

 アフガニスタンを我々のイメージで作り直すなど、愚かな行為だった。外国が押し付けた政権交代が民主主義につながることはほとんどない。特に貧しく、文字を読めない人がほとんどで、民族的に分裂し、紛争が絶えない世界ではそうだ。アメリカはほとんど理解できない国で壮大な社会実験を引き受けてしまった。一方タリバンは地域社会に溶け込み、隣国パキスタンの支援も活用。この状況下では勝利の戦略を立てるのは不可能だった。

 勝ち目のない戦争だったのに民主党共和党政策立案者や軍の幹部は国民に事実を伝えずメディアも彼らの明るい評価にほぼ意義を唱えなかった。米軍兵士とアフガニスタン人に代償を払わせたのに責任者は責任を問われていない。この20年間の悲劇が、外交政策エリートの過ちを露わにしたと言える。

 

ちょっとアフガニスタン人を見下した見方ですが、アメリカにはかなり辛辣ですね。ウォルト氏は、軍事介入主義に反対で、アメリカはオフショアバランサーとして絶対に必要なときしか干渉せず、軍事的プレゼンスは最小に維持すべきという考えの持ち主だそうです。

 

3. エリオット・A・コーエン(ジョンズ・ホプキンズ大学教授、元米国務省顧問)

 アフガン戦争の間、アメリカの指導者たちはこの国の社会や歴史のみならず、自分たちの政策の有効性についても関心を示さなかった。欧米の官僚たちはただ仕事をこなすのみで、腐敗のないアフガニスタンの治安部隊を育て、長らく維持するという最も重要なことを脇に追いやった。

  欧米諸国は、犠牲者がほとんど出ず軍隊への負担が最小限だったのに辛抱することができず失敗した。オバマ大統領が撤退の意思を示したときからアフガニスタン人はそれに気づいており、その後の大統領も同じ考えを示せばアフガニスタン人の士気が低下するのは当たり前だ。

  このような状況なのに、バイデン政権の無能な政治的軍事的計画が作り出した絶望と降伏のスパイラルは、我々が見捨てている人々への軽蔑と彼らの運命への無関心と同様に憂鬱だった。アフガニスタンでの任務は数年どころか数十年かかるものだった。運命だけでなく不注意で愚かな大失策がもたらした結果だ。

 

 オバマ時代からの撤退ありきの姿勢がアフガニスタン軍のやる気を減退させていたというのはもっともな気がします。ちなみにコーエン氏は、ネオコンに分類される人でイランとイラクとの戦争を強力に支持した一人ということ。そして反トランプの共和党支持者でもあります。

 

4. フセインハッカーニ(保守系シンクタンク、ハドソン研究所、南&中央アジア・ディレクター)

 アメリカの失敗は、任務を迅速に終わらせるための1つの計画ではなく、毎年違う年間プランを20年間続けてきたことだ。目的はアルカイダを保護するタリバンを追い出すことだったが、ブッシュ政権アルカイダが衰退すればタリバンも脅威ではなくなると考えた。よってパキスタンでのタリバン指導者の再集結阻止に関しほぼなにもしなかった。

 一方、高度に中央集権的な政府構造がアフガニスタン憲法に書き入れられ、民族や部族に首都での権力のシェアを奪い取ることを強いた。結果的に、弱弱しい中央政府に忠誠心を表すことを強いられ、それぞれの地域で影響力を持っていた部族の有力者は弱体化した。

 パキスタンムシャラフ将軍はアルカイダ幹部の逮捕に貢献したが、アメリカ撤退後を見据え、敵対するインドの影響力への防衛手段として、タリバン支援を続けた。アメリカとタリバンの二股をやめさせようと、援助停止や外交的いじめでアメリカは対応したが、インドへの脅威が勝るパキスタンはそれらに対して動じなかった。

 オバマ政権では、西洋教育を受けたガニ大統領のようなテクノクラートが好まれる一方、地元の影響力ある政治家は「軍閥」として冷遇された。そのため民族や部族の現実に反映、対応した政府が作られなかった。一方、高学歴のアメリカの高官たちは、アフガニスタンの力学が理解できず、安定化のためのアメリカの資源を有効に投入できなかった。

 アメリカの訓練したアフガン軍も、アメリカ基準で作られており、低技術国にしてはハイテク過ぎで、技術的アドバイスやメンテナンスを大きくアメリカの請負業者に依存していた。また撤退にフォーカスしたアメリカがアフガニスタン人将校を急いで昇進させており、成熟したリーダーシップが発揮できなかった。

  これらの問題に対応する代わりに、アフガニスタンについての議論は結局のところアメリカの最長の戦争となったということでまとまってしまった。アメリカが直接撤退に関しタリバンと協議したことでアフガン政府はさらに弱体化し、逆にタリバンの士気を高めた。長期の駐留を心配したために、アメリカは自分たちの戦いの相手とした過激派の手の中に、アフガニスタンを戻してしまったと言える。

 

非常によくわかる失敗の原因でした。アメリカの身勝手で、結局2001年のスタート地点に戻ってしまったというご意見です。ハッカーニ氏は、元パキスタン駐米大使で親米で有名だったそう。そしてパキスタン軍と不仲でした。氏は、イスラム過激主義はイスラム世界に出現した最も危険な考え方だとしています。

 

5. リチャード・ハース(米シンクタンク外交問題評議会会長)

 国家建設は失敗するに決まっていたというのが、アメリカのアフガニスタン政策に対する最も基本的な批判だが、問題はアメリカが国家建設を選択したことではなく、国家建設のチャンスが来てもほとんどそれをしなかったことである。2001年秋にタリバンを追放したあとに国軍の育成を加速させ、パキスタンタリバンの保護をやめさせることが必要だった。私は国務省の政策立案スタッフだった時に、アフガン新政府が領土の支配権を確立し軍隊を訓練するため、米軍と同盟国軍の数を一時的に増やすべきだと提案したが、ブッシュ政権はすぐにイラクに目を向けた。

 このチャンスを逃したために、タリバンはますます強力で活動的になり、政府は戦えなくなった。オバマ政権下での兵力増強は、アフガニスタン政府の正当性と米国内での支持を損なうものだった。

 2001年にタリバンを追放した後、アフガニスタンから簡単に手を引くことも同様に間違っていた。欠陥ある権威者を排除した後、公共の秩序と安全を維持し、脅威を無効化し、アメリカの負担を軽減し、政治的自由と経済的機会を育てることができるパートナーを探す努力をしなかったことが悲劇的な結果を招いた。

 

ハースさんは、大国無き時代の到来を予言したりして賢い方だとずっと思っていましたが、ちょっとアメリカ側からばかりの考えにも聞こえますね。中途半端に介入して都合のいい政権を作れなかったのが失敗だったということでしょうか?民族が複雑に絡みあうアフガニスタンでは、アメリカの理想のパートナー探しは無理だった気も。

 

6. リナ・アミリ(ニューヨーク大学、国際協力研究所シニアフェロー)

 アフガニスタンでの国際社会の活動は、アフガニスタン人が所有し、アフガニスタン人が率いるものであるべきという原則が唱えられていたのに、アメリカと同盟国の目的はテロ対策を中心とした特定の目的を前提としたものあった。

 国際的連携でタリバンとの戦いは行われていたが、アフガニスタン人は生活をコントロールできず、戦争を自分のものとは感じておらず、和平や和解の取り組みについても自分たちが主導権を持っているとは感じていなかった。

 トランプ政権での和平プロセスでも、タリバンは交渉相手をアメリカだとし、アフガン政府との交渉を拒否した。アフガン人の自分たちは当事者ではない戦争のために戦い死んでいるという気持ちを増幅させただろう。トランプ政権がタリバンと二国間協定を結んだとき、アフガニスタン人のためという言葉は幻想として滑り落ちた。

 これではアフガン軍がタリバンとの戦いをあっさり放棄したとしても全く不思議ではない。そして後処理を背負うのはアフガンの人々だ。

 

アメリカための戦争と統治だったことは否めませんね。勝手に乗り込んで勝手に去っていったアメリカの傲慢へのアフガニスタン人の怒りを代弁されてます。アミリ氏は、様々な紛争地域を20年以上に渡って見てきたとのことです。メディアの露出が非常に多いようで、これまで知らなかったんですが、かなりの影響力がある女性研究者のようです。

 

7. エリオット・アッカーマン(作家、元海兵隊員でアフガニスタン駐留)

 アフガニスタンでは、「アメリカ人は時計を持っていたが、タリバンは時間を持っていた」というのが定説だった。アメリカはあらゆる面でタリバンを凌駕したが、タリバンアメリカを追い出すまで待つという能力と意志を持っていた。アメリカは現場の状況に基づいた出口戦略ではなく時間に基づいた出口戦略に固執し、それが最大の害となった。

  20年の戦争は長いが、そのほとんどの期間、アメリカは進捗状況に関わらず撤退を表明し続けた。私はオバマ政権時代にアフガニスタンで戦っていたが、地元の指導者は、アメリカが18か月後に出て行ったあと、タリバンの影の知事は残るのに、どうやって新しい道路計画や女子校の支援ができるのかと尋ねた。タリバンが脅威でなくなるまで私たちはここにいるからと言えていたら、戦争の終わり方は違っていたし、もっと早く終わっていただろう。

  国内、特に政権の汚職もよく語られていたが、撤退までの時間にこだわったことが腐敗の心理に影響を与えてしまった。アメリカの目的のために命をかけることを我々は彼らに求めていたのに、もうじき去ると伝えたことで資源を吸い取ることがアフガニスタン人の保険になっていたのだ。米軍は縮小で、最終的にはタリバンに引き渡されると約束されていたときに、他にどんな選択があっただろう。

 我々はこの期に及んで過去の過ちからの教訓を学んでいない。残された人々を脱出させなければならないが、撤退期限の8月31日は設定済みでミッションは終わらない。

 

結局タリバンの忍耐力に、初めに予定通りの撤退ありきのアメリカはかなわなかったということです。アッカーマン氏は、海兵隊の特殊作戦のチームリーダーとして、タリバン上級幹部捕獲作戦で700人からなるアフガン戦闘部隊の主要戦闘アドバイザーを務めていたとのこと。実際に現地にいた人なので、実情をよくわかっていたようです。時計と時間のくだりは非常に面白い見方だと思います。

 

8. ロイ・スチュワート(元イギリス閣僚、イェール大学ジャクソン研究所フェロー)

 2005年から2011年まで、米と同盟国はアフガニスタンを世界の安全保障上の「実存の」脅威と見て、タリバンを完全排除し、民主的な中央集権国家を作ることを目的とし、兵力と資金をつぎ込んだ。

 しかしバイデン政権発足前にその時代はとっくに終わっており、戦闘行為も終了して2500人の米軍しか残っていなかった。2016年以来犠牲者もほとんど出ていない。国家建設は理想通りにはいかなかったが、女子教育が再開され、人々は健康になり寿命も延び、これまで存在しなかったビジネスや文化を若者がすることもできるようになった。

 バイデン大統領は、このまま持続可能なアメリカのプレゼンスのための新モデルとしてそのまま継続することもできたのに、すべてをひっくり返した。4月まで懸命に戦い続けたアフガン軍は、突如裏切られ支援を断ち切られた。能力の喪失や士気の低下が、軍の完全崩壊を引き起こしタリバンの手に落ちた。

 この問題はアフガニスタンに留まらない。なぜアメリカはわずか10年足らずでその外交政策、同盟関係、利益についての前提をひっくり返し破壊することができるのだろうか?なぜ信頼から極度の絶望と無力感に傾くことができるのだろうか?なぜ忍耐と節度が保てないのだろうか?

 

これも成果はなかったわけではないのに、さっさと見切りをつけて信頼を失うような幕引きをする必要はなかったという厳しい意見です。スチュワート氏は、アフガニスタンに実際に住んだこともあり、英米などでアフガニスタンイラクに対する助言を求められることが多いそうです。オバマ時代の大規模駐留という戦略は地元民を遠ざけてしまい逆効果で、小規模な軍を置いたほうがよいと提案した人物でもあります。

 

9. カーター・マルカシアン(歴史家、元アフガニスタン米軍司令官顧問)

 アフガニスタンでは勝利の可能性は常に低く、出口も非常に複雑だった。このような戦争を泥沼化させないためには、広く前向きな戦略的思考が必要だったが、アメリカは視野が狭く先を見る目がなく、戦費を抑えてアメリカ人の命を救うという選択肢を排除した。

 ブッシュ政権タリバンとの和平交渉を模索し、より有能なアフガン軍を構築していたら、アメリカの負担は軽くなっていたはずだ。オバマ政権では米軍部隊を大量投入し、大きなコストと人的犠牲を払ったが、状況を大きく変えることはなかった。トランプ政権に至っては撤退一辺倒で執行困難な合意を求めたため、今の状況をもたらすことにつながった。

 いずれの政権も先を見ることができず、期待に反した情報を軽視し、低コストでできる予防策を拒否することもしばしばだった。軍はまず戦争に勝つことを求め、次に戦争に負けることを避けた。文官は単一の未来にコミットし、見通し通りにいかなかった場合、不測の事態についてよく考えることをしなかった。

 

とにかく戦争に勝って終わらせようとしたことが、別の選択肢を考えさせなかった。長期的展望なく撤退を急いだことで、今の大失敗につながったという見方です。マルカシアン氏は、アフガン政府が民衆の支持を受けられなかったのは、外国の占領勢力とみなすアメリカが付いていたからという見方を自著で示しています。自分の利益しか考えないアメリカより地元を知るタリバンのほうがまだわかりやすかったということなんでしょうね。

 

本当は数日前に出すはずだったのですが、いろいろ忙しく今日投稿になってしましました。不確かなところもあるかと思いますが、ざっと識者の意見を見回すと、「アメリカはテロ対策のためにアフガニスタンに侵攻したため、そもそも地元の人のことなど深く考えていなかった。自分たちの好きなスタイルで国家建設をしようとしたが、現地についての勉強不足で空回り。うまくいかないならさっさと出て行こうと割り切り、撤退を急いだため今の惨状となった」というのがほとんどの見方です。

 

複数の識者が、少人数で現状維持の駐留&統治をしていれば、何も問題はなかったという見方ですね。実は被害と経費が最も大きかったのはオバマ時代で、以後犠牲者も経費もそんなにかかっていなかったというのは知りませんでした。

 

アルカイダを追ってアフガニスタンに侵攻したのは理解できるんですが、この記事を読んで思うのは、こんなにたくさんの人がアメリカの間違いに気が付いてたのに、なんでこれまで修正されてこなかったんだろうということです。まあみんな後からだったら何とでも言えるということもあるのでしょうが、アメリカも自信はなく迷いに迷いながらアフガニスタンという異文化の中で戦っていたのかもしれません。