UK9報道部

気になるニュースについて書きます。海外ニュースがメイン。

ロビンソン・クルーソーが科学者になれない理由

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Herbert HansenによるPixabayからの画像

いきなりロビンソン・クルーソーだから無人島(笑)。今日のテーマで探したらこの写真しか手に入らなかった…

 

さて、私はパンデミック初期は、結構コロナ関連の記事を書いていたのですが、最近やめています。第一の理由は自分のコロナ疲れ。どこそこの国で感染拡大です!〇〇という薬が効果ありそうです!とか書いたところでお騒がせだけな気がしてきました。特に医学的、科学的な話は私レベルでは不十分ですし、読む人にも「細かすぎて伝わらない」ニュースになりがちです。どちらかというと、パンデミックで社会や経済にこういう影響が出てきたよ、とか間接的なお話のほうが自分には書きやすいです。それか全く違うお話書きたいです。

 

最近のお気に入りはこれかな。なかなか自分も勉強になる話でした。読むとお腹すくかもしれませんがどうぞ。

newsphere.jp

ただ、一応分かる範囲でコロナ研究とかワクチンとかのニュースは追っています。SNSで信用できそうな専門家をフォローしてそういった人のコメントをチェック。その人たちをフォローしている人々のコミュニティは結構面白い建設的な意見も多くて、なるほどなあと思いながら読んでいます。なので文系脳であんまり分かってない割には、科学を信じる派になってる(笑)。

 

で、今日回ってきた記事の内容がとても興味深かったのでご紹介します。

bostonreview.net

ちょっと長めだったんですが、翻訳ソフトで読んじゃいました。最近これがあるから大助かり。記事の主題とはちょっとずれた読み方をしてしまったと思います。

 

コロナ禍で、いろいろエセ科学みたいなのが出回りましたね。そうでなくても、専門家が最初に行っていたことが覆ったりなど、科学への信頼が落ちたという人も多いかもしれません。科学の権威が低下したと思っている人もいるでしょう。

 

 

この記事の筆者によれば、科学が尊敬に値するのは、その実践者が偏見や感情に左右されることなく自らの意思で行動するからだという考えがあるといいます。しかしこのような考え方でいくと、客観的な科学と偏った科学という2つに分類されてしまうと指摘します。ところが科学者とて私たちと同じ人間で、フィルターや先入観を持っているのは事実です。そしてもし科学者がフィルターや先入観を持って仕事をしているのなら、科学知識の正当性は損なわれてしまうということになってしまいます。

 

この問題を解決するには、科学が提供できる客観性は、科学者個人ではなく、科学者の仕事を構成する社会的な制度や慣習に由来することを認識する必要があるとのことです。科学哲学者のカール・ポパーは、科学と科学的客観性は1人の科学者が客観的であろうとする試みからではなく、多くの科学者の友好的、敵対的な協力関係から生まれると述べています。つまり、科学は共同作業で、科学者の研究には必ず本人以外のチェック機能が働いているということですね。したがって、ロビンソン・クルーソーは、科学者にはなれない。「なぜなら彼の研究結果をチェックするのは彼自身以外誰もいないからである」ということです。なるほど~。上手いこと言う(笑)。

 

科学は時として、科学者のフィルターや先入観(例えば、特定のデータに一心不乱に集中する傾向、他人より先んじて発表したいという欲求、逆張りの気質、過剰な自信など)をものともせず、進歩することもあると筆者は指摘します。完全に偏見から解放されていることを科学の条件とする科学感は、科学を不可能にする運命にあるとしています。これももっともですね。結果ありきの研究でもたまたまビンゴ!っていうものもあるかもです。

 

科学が機能するのは、科学者が自分の仕事を構造化する社会的プロセスを遵守しているからということです。社会的プロセスっていうのがもう一つ分かりませんが、遵守していればチェック機能が働くので、問題ある研究結果は最後には排除されるということでしょうか。そういえばSTAP細胞のときも最初はどーんと出ましたが、のちに各所からするどい指摘が入って消えました。

 

ただ、使用される規範や基準は、ミスは絶対に起こらないことを保証するというものではありません。科学はすべての人間の営みと同様に誤りを犯しますが、それでもルールをどれだけ遵守しているかによって信じに足るものとなるとのことです。ワクチンもそうかも。今は分からないことも確かにありますが、多くの科学者が害よりも利益のほうが大きいと判断しているわけです。今の段階では私は効果を疑うよりも期待します。

 

コロナで無症状感染はない、空気感染はほぼないという見解は誤りでしたが、科学者がこれらの誤りを認めたことでチェック機能が働くという科学の本質は理解できたと筆者は述べます。科学には誤りを正す機能があり、むしろあとから考えを撤回することは健全だという考えですね。このプロセスを理解することで、私たちは科学者の貢献をよりよく評価し、どの科学者を信じるべきかについてより正確な評価ができるようになるということです。

 

結局他からサポートされない一匹オオカミ的な科学者の意見って、信用薄いということでしょうね。大昔のコペルニクス見たいな例もありますが、現代では無理かも。科学とは外も巻き込んだチームワークということがよくわかりました。