UK9報道部

良質な「コタツ記事」を目指します。海外ニュースがメイン。

小山田君の件で思い出したこと。

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私は若いころレコード会社に勤めていて、少しだけフリッパーズ・ギター時代の小山田君を知っています。「カメラトーク」が出た後ぐらいまでしか知らないけど、その後私は会社をやめてアメリカに行って、その間にグループは解散したようです。日本に帰ってきたら、いつのまにかもう一人のフリッパーズの小沢君は王子様になっていて、小山田君は通の人が好きそうな、おしゃれなミュージシャンになっていました。

 

フリッパーズの前身は別の名前のバンドで、デビュー前に二人になりました。最初のアルバムは全曲英語。ブリティッシュっぽい曲に小沢君の甘酸っぱい歌詞と小山田君の無邪気な少年っぽい声が素敵な、アズテックカメラを思わせる日本には珍しい感じのサウンドでした。演歌やアイドルが売れ筋だった当時のそのレコード会社にとっては不似合いな存在でしたね。

 

思った通り評判になり、当時雑誌社や新聞社を回っていた私が見本版を渡すと、編集者や記者の皆さんはたくさんレビューを載せてくれました。いつもは全く私の持ってくるものなど聞いてくれないスポーツ新聞社のおじさん記者さんが、レビューを書いていたのに驚かされました。多分読者層には全然あってなかったんですが(笑)、常日頃いろいろ聞いていたその人には、響くものがあったんだとそのとき感じました。フリッパーズ・ギターって、多分音楽好きな人にとって画期的だったんです。

 

彼らは、レコード会社内でも特別な存在でした。彼らのプロデューサーもまたおしゃれな経歴の方で、二人を大事にしていたようです。会社もお金をたくさん使っていました。ジャケットや販促物も豪華でしたし、海外レコーディングにも出かけていました。ほかのプロデューサーがそのことをどう思っていたかは大体わかっていましたけど、特別だったんです。

 

話は変わるのですが、私は小山田君の件で自分の中学生のころの事件を思い出しました。3年生の時、卒業アルバム委員みたいなのになり、アルバムに載せた写真にいろいろキャプションをつけるという係でした。私は面白おかしくするために、結構きわどいキャプションをつけたりしていまして、そのなかの一つを見た担任の先生がそれを差し替えるように私に言われたんです。

 

写真は男子が走っているもので、ちょうど角度の影響で片足の半分が見えなくなっていました。そこにつけたキャプションは、今考えると趣味の悪いブラックジョークみたいなものでした。先生は、「このジョークがもし将来現実になったら、書かれた人を一生傷つけることになる。あなた自身も一生悔やむことになるよ」と言われたんです。

 

私はその先生は好きではなかったし、子供だったのでその時はむっとしつつトーンダウンしたものに直しました(それでもひどかったけどマシでした)。その後冷静に考えてみると、先生の言葉は言い返すこともできない全くの正論でした。自分は人のことなんか何も考えずなんて恐ろしいことをしていたんだろうと思いました。そう思ったら時間が経つとともに怖くなって、ほかのものまで全部直したくなりました(結局他は直しませんでしたが)。今でも罪悪感があって、アルバムは見たくありません。

 

あれから何十年も経ちましたが、私は先生が叱ってくれたことで、救われたと思います。別に有名人でもなく平凡に生きていますが、卒業アルバムという後々残るものに完全にアウトなものを残さず済みました。思春期の子供とは言え、人としてやってはいけないことを指摘してくれた先生に、今では感謝しかないです。

 

小山田君がいじめをしていたという過去は消えません。また、雑誌で繰り返し面白ネタとして披露し、自分のやったことのひどさを気にしていなかったという事実も消えません。あの内容を記事にしたロッキングオンの編集者さんは謝罪されていますが、当時彼も会社も記事にすべき内容ではないと思わなかったようです。だから世に出てしまった。小山田君が反省していようといまいと、掲載してしまったことは編集者、出版社としての責任欠如でした。これはまた別の問題。

 

一方、雑誌になったとき、小山田君の周りのスタッフで「これはダメでしょ」と言ってくれる人もいなかったのだと思います。担当の宣伝マンならたとえ原稿を見せてもらえなかったとしても、雑誌は読んでいるでしょうし、クイック・ジャパンの記事の場合はその企画内容を事務所の人も知っていたと思います。

 

もし誰か彼に近い人が、すでに傷つけてしまった人をもっと傷つける行為だと激しく注意してくれていたならよかった。有名人だけにその行動が見ず知らずの他人にすべて届いてしまう可能性もあると、それがキャリアに害を及ぼすこともあるんだと教えてくれる人がいればよかった。そうだったなら、その時点で彼も気が付いたのではないでしょうか。

 

小山田君の私のなかのイメージは、20代前半の若く瑞々しいものですが、最近の写真を見たらすっかりおじさんでした(私がすっかりおばさんのように)。結婚して大きなお子さんまでいるのも不思議でもないですね。少しだけ彼の曲を聴いてみましたが、おしゃれでかつ凝った実験的な感じで、音楽家としてはちゃんと成熟していたんだなと感じました。

 

残念なのは、彼の才能を評価する取り巻きは多くても、彼を人として成長させてあげようという人に恵まれなかったことだと思います。彼をたたく人も多いのですが、たまたまある時期を同じ空間で少しだけ過ごしたものとしては、今からでも反省し償い、やり直してほしいなと思うのでした。

 

追記:昨日公開したのですが、少し手をいれました。内容はほぼ変わっていません。小山田君は五輪の音楽担当を辞任したようです。過去は消しようもないものですから、しっかりけじめをつけてこれからの活動に反映させてくれることを希望します。そして当時の彼に関わった人も皆、関係ない、語りたくないという気持ちはわかりますが、自分のなかだけでも反省してほしいですね。

アーティストから搾取のストリーミング。英報告書、制度のリセットを求める

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whoalice-mooreによるPixabayからの画像

最近仕事の合間にお散歩をするようにしてるのですが、その間に音楽を聴くようにしています。実は私、学生時代は洋楽にどっぷり浸かり、その勢いでレコード会社に勤めていたこともあります。すぐ辞めましたけど。趣味と仕事はなかなか両立しなかった(笑)。

 

家族でアップルミュージックをやってるので、4人で1500円ほど。たまに聞けない曲もありますが、最近は減ってきましたね。時代の流れで、前にストリーミングに楽曲を出さなかったアーティストも出すようになってるみたいです。昔お小遣いをせっせとためてLPやCDを買いに行っていた時代、そしてダウンロードに1曲いくらでお金払っていた時代に比べると素晴らしく便利で効率的、そしてお得感が高まりました。

 

しかし、ストリーミング時代に入ったことにより、アーティストのほうはえらいこっちゃになっているそうです。概要はこちら記事で。

 

newsphere.jp

 

イギリスでの話ですが、各国でも調べると同じ話題が出てますね。ストリーミングのお金の流れはかいつまんで言うと、アップルミュージックやスポティファイなどのプラットフォームが利用者から回収し、30%を自社の取り分とする→残りのうち15%は音楽出版社が、55%はレコード会社がゲット→レコード会社は取り分のうちの20~25%(13~16%程度という話も)をアーティストに支払う。ただし、事前に投資分としてアーティストに前払いしている額を差し引くので、借金があるうちはアーティストには一銭も入らない、というわけです。しかもアーティストが受け取るのは1ストリーミングあたり30銭から90銭ぐらい。明治時代なの?為替レートなの?と思うぐらいの単位の額で、これじゃ食えないよと怒りが爆発しているとのことでした。

 

イギリスでは音楽産業は大切な輸出産業でもあり、これはまずいんじゃないかということで、デジタル・文化・メディア・スポーツ省(盛りだくさんですね、DCMCと略します)の委員会が6か月を費やしてアーティストを含め関係者への聞き取りをして、現状を調べてきたわけです。その報告書が出たことを、BBCが報じております。

www.bbc.com

 

結論からいきますと、報告書は現在の制度は完全なリセットが必要とし、ロイヤルティ(印税など権利料)はレコード会社とアーティストが半分ずつにすることを求めています。ストリーミングが業界に多大な利益をもたらす一方、それを支える演奏家、作詞家、作曲家が損失を被っているとDCMC委員会の委員長は述べ、収益の公正な分配を受ける権利を法律で規定すべきとしております。

 

実は、制度改革にはこれまでがっつり現行のルールで稼いできた、ミック・ジャガーポール・マッカートニーなどの大御所アーティストたちも賛成しているんですね。音楽プロデューサーのナイル・ロジャースも、ストリーミングの懐具合は秘密に包まれているとし、その価値を理解できないと批判しました。

 

また、プラットフォーム側もすでに収益の7割をレーベルとアーティスト、出版社に渡しているため、制度変更の受け入れには前向きとしています。委員会からサービス自体への批判はほぼなかったとのことで、むしろ権利料を払わず音楽を使っているYouTubeTikTokFacebookなどのほうが問題視されています。

 

一方大手のソニー、ユニバーサル、ワーナーミュージックは、ロイヤルティ半々で折半というアイデアには抵抗しています。もともと半々という分け方は、イギリスではラジオやテレビで楽曲が再生された場合に適応されており、これが最も妥当な解決策と報告書は結論しているんですが、レコード会社のほうはストリーミングは「史上最高のレコード店」であり明らかなセールスであるとし、ラジオとは一緒にできないと主張しています。

 

レコード会社の業界団体、英国レコード産業協会(BPI)は、ストリーミングのおかげでアーティストが長期的に持続可能な収入を得られるようになったとし、新たな才能への投資が意図せぬ結果にならないよう、新しい政策は適切に検討すべきとしています。レコード会社によるアーティストへの投資は前年比で増加しており、アーティストのキャリアへの主要な投資家としてレコード会社が果たす役割は重要との主張です。

 

結局一番おいしいところを持って行っているレコード会社がそれを手放したくないということですよね。ストリーミング利用者としては、自分の好きなアーティストがもらうはずのお金が、レコード会社の偉いおじさんの懐に転がり込んでるかと思うと悲しいです。多分若い社員のところにはあまりお金は回っていないはず。経験上分かります(涙)。

 

もっとも今は、クラウドファンディングとかで製作費を賄うこともできるし、立派なスタジオがなくても自宅で音楽を作れる時代でもありますよね。レコード会社のほうが、なくなってもいい時代かもしれません。既存のシステムの上でふんぞり返り、アーティストとの共存を拒むなら、未来はない気もしますね。

 

一転使用許可かも。黒人スイマー用「ソウル・キャップ」が求めるインクルージョン

世の中、インクルージョン(包摂、包括)という言葉がはやっております。日本語でもなんだか読みにくい&わかりにくい語ですが(汗)、人種、宗教、体形や外見まで、いろんな人の価値観や多様性を尊重して公平に受け入れることのようです。つまり、排他の反対ってことですね。

 

この観点から、様々な分野でインクルージョンの取り組みが求められているんですが、今日の話題はこちら。

 

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画像元:https://soulcap.com/

 

じゃーん。

 

こちらは、アフロヘア用の水泳帽だそうで「ソウル・キャップ」というんだそうです。作ったのはマイケルさん&トックスさんという二人組なんですが、彼らのインスタによれば、黒人のお二人は、子供のころ水泳を習わず大きくなったそう。水泳は黒人スポーツと思われておらず、まわりにやっている人もいないし学校や親からも勧められなかったんだそうです。

 

そこで二人は2017年に一緒に水泳を習うことに。同じ教室で会ったアフロヘアの黒人女性がボリュームのあるヘアに水泳帽がフィットしなくて困っているのを見て、自分たちで作ろうと決めたのだそうです。起業したんですね。

 

ところが、この「ソウル・キャップ」は、国際水泳連盟FINA)から承認されず、東京五輪などでも使用不可とされてしまったんですわ。これが大々的な批判を浴びまして、見直しの対象になったということです。

 

www.bbc.com

 

BBCによれば、FINAが認めなかった理由は、「頭の自然な形」に添っていないことだったらしいです。しかし「ソウル・キャップ」は、ドレッド、アフロ、編み込み、三つ編み、太い髪や巻き毛までにフィットして保護する仕様。他の髪質よりも乾燥しやすく、プールの水に含まれる次亜塩素酸ナトリウムでダメージを受けやすい黒人の髪を考えて作られているんです。頭の形より大事なのは髪。黒人にとってはかなり実用的ということですね。

 

実はヘアケアは黒人スイマーにとっては大変な課題であることを、イギリスの黒人スイマーがBBCに説明しています。普通の水泳帽は頭にフィットするものの、髪の毛の保護用につけているオイルのせいで滑ってどんどんずれてしまうのだそう。ちなみにイギリスの国内大会では「ソウル・キャップ」は着用可だそうです。

 

さらに問題なのは、イギリスでは白人の子供のうち29.3%が水泳をするのに比べ、アジア系21.9%、黒人20.1%となっており、人口比で白人のシェアがかなり高いスポーツとなっています。こうした差を是正するためにも、アフロ用の水泳帽が役に立つのではないかという意見もあるそうです。まさにインクルージョンですね。

 

しかし写真を見る限りこのキャップだとかなり空気抵抗が大きいような…。タイムはおそくなる気もしますが、逆に速くなるようなら反対意見がもっと出ているかもしれません。まあ男子は坊主にするという手もあるんですが、女子はそうもいきませんから、やっぱり必要なんでしょう。

 

この話題を読むまで、確かに黒人の水泳選手は少ないと気が付いていて、これは差別の歴史から来るものなのかなと思っていたのですが、本人たちが髪の毛の問題を抱えていたということを知りました。人種が違うと分からないこともいっぱいあるんで、このニュース大事だったかも。

 

東京五輪は、コロナに留まらず、選手のプロテスト禁止、トランスジェンダー選手の出場など物議を醸す話題が満載の五輪になりそうです。しかしアフロ・キャップ、誰も傷つけることにはならないみたい。ぜひ東京五輪でも採用してほしいと思います。

 

これじゃ中世の拷問。減量用に開発されたデンタル装置が利用者に大不評

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photosforyouによるPixabayからの画像

梅雨ですね。今日の我が家は生臭い。なぜならかわいい老犬の愛犬が、朝びっしょりおもらしをしてくれたからです。うちの子はお外でしかトイレにいかない賢い犬で、若かりし頃はママが7時間ぐらい出かけても、おしっこをずっと我慢して待っていてくれたのですが(それも体に悪かったと思うけど…)。ここ数年は、すっかり緩んでしまったようで、気が付くと水たまりができていたということが多いです。

 

粗相が怖いので、夜は広いサークルの中に大判ペットシートを敷いて、そこに犬用ベッドを入れて寝させているのですが、今朝はペットシートの上に大と小が放たれていました(涙)。シートだから床は大丈夫だったのですが、ベッドの下におしっこのにおいが染みついてしまい、洗いたいけど雨でかわかないだろうから、ざっと雑巾で拭いたのみで、周囲ににおいを拡散しております。もう、しょうがないけどね。粗相は天気のいい日にお願い!

 

さて、本日は雨で私のボルテージも上がらないためしょうもないニュースをひとつ。

www.theguardian.com

ニュージーランドのオタゴ大学の医療専門家とイギリスのリーズ大学の科学者が開発した減量ツールのお話です。

 

『デンタル・スリム・ダイエット・コントロール』と分かりやすく名付けられたこの装置、なんとロックボルト付き磁石を使っており、装着すると最大2ミリしか口を開けることができなくなるそう。固形物が通らないため、流動食しか食べられないという画期的な仕様となっております(怖)。

 

オタゴ大学は、この製品は「世界的な肥満の蔓延と戦うための世界初の減量用器具」と自信満々にツイート。すでにニュージーランドの肥満女性7名が低カロリーの流動食を2週間に渡って摂取する実験に参加したそうです。British Dental Journal誌に掲載された記事によりますと、女性たちは平均で6.36キロ、体重の約5.1%の減量に成功したということです。むむ、ということは、一人125キロぐらいはあったということですね。ちなみに渡辺直美ちゃんが158センチで107キロということですから、結構ヘビー級だったと予測。

 

しかし実験参加者たちからはこの装置が使いにくいという苦情が出たそうです。話しづらいし緊張感も感じ、生活全般で満足感が減ったとのことでした。ある参加者はルールを破り、食べてはいけないとされていたチョコレートなどを溶かして歯の間から流し込んでいたそうです。チャレンジャーだな(笑)、甘い誘惑に負けたんですね。ダイエットあるある。

 

オタゴ大学のポール・ブラントン教授は、このツールは体にメスを入れることもないし、元に戻すことができ、経済的で魅力的な外科手術に代わるものだと自画自賛しています。しかしネット上では、「流動食ダイエットにこんな拷問デバイスは不要」という厳しい意見も寄せられているとのこと。

 

不評に焦ったんでしょうか。オタゴ大学では、太り過ぎで手術を受ける必要があるがその前に体重を減らしておかなければいけない人の支援を目的としていると説明(言い訳)しています。しかしそれにしても、口開かなくて流動食だと、気分は病人ですよね。大事なのは、そこまで太らないように適度な運動と節度のある食生活ではないかと思います。

 

ちなみにイギリス人曰く、英語ではindulgence(悪い習慣にふけること、甘やかすこと)という言葉があり、甘いものを食べると、がっつり満足できるまで食べてしまうという傾向があるんだそうです。日本人の私だと「おいしいものを少しずついろいろ」っていうのが多いんですが、やつの感覚では「おいしいもの1つを飽きるまでたっぷり」というのが理想なんだそうです。だからなんでもサイズが大きいんだと勝手に納得。ということで、まずは減量より、食べ物のサイズを小さくするのが先かもしれません。

 

「クソどうでもいい仕事」は実は少なかった…。「ブルシット・ジョブ仮説」否定される

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EnhialusによるPixabayからの画像

本日はお仕事に関する興味深いお話です。アメリカの人類学者、デビッド・グレーバーが『Bullshit Jobs』という本を2018年に出しておりまして、日本では「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事」と題されています(タイトルの翻訳はまり過ぎ~)。同氏は、多くの労働者が無用で社会的価値がないと自ら認識している仕事=「ブルシット・ジョブ」に就いていると主張し、その社会的な害を分析しました。

 

ところが、ケンブリッジ大学バーミンガム大学の研究者が、同氏の理論にはいくつかの大きな欠陥があると指摘した論文を発表したとのこと。

www.cam.ac.uk

 

グレーバー氏が「ブルシット(BS)・ジョブ」と認定したものは、ドアマン、受付嬢、ロビイスト、広報担当者、さらに企業弁護士や法律コンサルタントなどの法律専門家など、多岐に渡っています。うわ~、確かにいらんかな、というもの入ってますね。最近機械がやってくれるものも多いし、コロナで不要になりつつあるものもありますので。

 

論文の著者の一人、マグダレーナ・ソフィア博士は、BS理論には訴えかけるものが確かにあると述べ、多くの人が一度はそのような仕事に就いたことがあるという事実が、グレーバー氏の研究への共感を呼んだのではと見ています。しかし、彼の理論は、いくつかの命題を提示してはいるものの、信頼できるデータには基づいていないと同博士は主張しています。

 

グレーバー氏の命題を検証するため、研究者たちは欧州労働状況調査(EWCS)という調査を用いて、「有用な仕事をしているという実感がある」に対し、「ほとんどない」、「まったくない」と回答者が答えた理由を調べました。

 

グレーバー氏は、労働者の20~50%、もしかして60%がBSな仕事についているとしていたんですが、EWCSの調査では、自分が役立つ仕事をしていない気がすると答えたのは、EU労働者のわずか4.8%しかいなかったそうです。

 

さらにグレーバー氏は、実証的な証拠を提示していないのにBSな仕事の数が近年急速に増加していると主張していましたが、実際にはBSな仕事をしている人の割合は2005年の7.8%から2015年には4.8%まで減少しており、逆の結果となっています。

 

グレーバー氏の次の仮説は、BSな仕事は金融、法律、行政、マーケティングなどの特定の職業に集中しており、ほとんど公共サービスや肉体労働に関連した職には存在しないというものでした。「多くのサービス労働者(最近でいうエッセンシャルワーカーみたいなものだと思います)は自分の仕事を嫌っているが、そういった人でさえ、自分の仕事がいくらかでも意味ある違いを世界にもたらしていると認識している。一方、BSな仕事をしていそうなオフィスワーカーは、実際そう思っているとしか思えない」と同氏は述べています。厳しいお言葉ですが、わかる気はする…。

 

しかし研究者たちが、自分の仕事がほとんど、あるいはまったく役に立たないと評価した人の割合で職業をランク付けしたところ、自分の仕事は役立たないと大体数の労働者が感じる職業が存在するという証拠は得られなかったということです。

 

教師、看護婦などの一部の労働者は自分の仕事が役に立っていると評価していることが多く、逆に営業職の従事者は役立っていないという評価が平均(7.7%)以上だったということ。とは言え法律家や管理職はこのランキングでは下のほうに位置し、ごみ収集者(9.7%)、清掃人、ヘルパー(8.1%)などはランキングの上のほうで、グレーバー氏の主張とは矛盾しているということです。

 

結局、同氏の理論の主要命題のうち、裏付けのあるものはほとんどないということが明らかになったとバーミンガム大学のアレックス・ウッド博士は述べています。

 

しかし絶対数で考えると自分の仕事が役に立たないと考えている人自体はかなりいるわけで、その原因を研究者たちは調べたそうです。その結果、マネージメント側から尊敬され、励まされていると感じる人は、自分の仕事が役に立たないとする可能性は低いことが分かりました。逆に雇用者や上司が失礼、非効率的、フィードバックが少ない場合は、自分の仕事が有益とは感じなくなるそうです。さらに、職場で自分のアイデアを活かせている、または仕事をするのに十分な時間があると考えている人ほど、自分の仕事が役立っていると感じているそうです。業種じゃないってことですね。

 

ということで、仕事が無駄だと感じる原因の一つは、自分の可能性や能力を発揮することに影響する仕事のペースということ。そして仕事にやりがいを感じる要因としては、上司や同僚からのサポート、重要な決定や組織の方向性に影響を与えることができることがあげられました。

 

ケンブリッジ大学のブレンダンバーチェル教授は、「データはグレーバー氏の主張を必ずしも支持するものではなかったが、彼の考察は無駄な仕事の弊害についての認識を高めるうえで重要な役割を果たした」と述べています。一般的にBSな仕事がどのようなものかに関しては的外れだったのかもしれませんが、人々の仕事に対する態度が心理的な幸福感につながるという点では彼の主張は正しく、それが雇用者や社会全体が真剣に受け止めるべきことだとしています。

 

ちなみにご自身は残念ながら昨年亡くなっています。ウィキペディアによればベーシックインカム推進派だったということで、なかなか面白そうな方だったようです。ご興味ある方は本のほうをどうぞ。

指定ワクチン接種者限定。スプリングスティーンのブロードウェイ公演再開へ

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chatst2によるPixabayからの画像

いや~、ここ数週間、Windows10の更新が全然うまくいかず、もう片っ端からググって解決法を探してたんですが、ついに昨夜の試みが成功し、今朝見たら更新されてました!昨日は1日をこれに費やしてしまって廃人状態。一時はあきらめモードで修理屋さんに持っていこうかと思ったんですが、壊れてもいい覚悟でいろいろやった結果、一人で出来ました~(どやぁ)。

 

アップル信者の夫には、安物買うからこうなると一蹴され、「くっそー、ほっとけよ」とぶー垂れていたんですが、修理代数万円をセーブしたと思うといい気持ち。しかしPC周りは本当に問題が起きたときはめんどくさいです。また起きたらどうしようと思ったりもするんですが、とりあえずもう考えるのはよそうっと。

 

さて、本日見つけた記事はこちら!

www.theguardian.com

 

ニューヨークは、コロナの大感染で甚大な被害を出していたんですが、いまや州内の18歳以上のワクチン接種率(少なくとも1回)が7割を超えているということで、これまでの厳しい制限がほぼ解除されるということです。当然エンターテイメントも再開ということで、復活に向け盛り上がってまいりました!

 

で、すっかり閉まっていたブロードウェイの再開第1弾が、ボス(ちなみに私も夫にそう呼ばれています…家では)ことブルース・スプリングスティーンの「スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ」という公演。これ2017年が初演らしく、すでに日本でもライブ盤が出ており、ネットフリックスでも公開されています。ウォルター・カー劇場という960席の劇場で行われ、「NYで最も入手困難なチケット」としても話題になったショーとのことです。今回は6月26日よりセント・ジェームス劇場という1710人収容の劇場で始まるとのこと。

 

実はロック少女だった私ですが、商業主義が匂ってあんまりトップ40もの好きじゃなかったので、彼の作品はヒット曲しか馴染みがないです。でも、よくラジオなどから流れてきて聞いてはいたので今は懐かしい感じ(実は今はボンジョビも大好き。ジョン日本に来て~)。劇場行ってみたい気がします。トレーラーをのっけておきます。

youtu.be

 

ところが、この公演を見るには厳しい制限がつけられています。入場者は、米食品医薬局(FDA)から緊急使用許可を受けたワクチン接種を完了していなければならないとのこと。ファイザーかモデルナの2回接種、またはジョンソンエンドジョンソンの1回接種が終わっていることを証明できなければ来ないでね、ということらしいです。スプリングスティーンとギター、ピアノ、そして彼のストーリーとの「密な」夜になるからと制作側は説明。またマスクなし、ソーシャル・ディスタンスなしで、ほとんどコロナ前と同じ態勢で挑む、ある意味実験的な公演のようです。

そのため、米で未認可、しかしカナダやイギリスで使われているアストラゼネカ製ワクチンを打った人は入場不可とのこと。この対応はカナダでは大不評らしく、スプリングスティーンのヒット曲「Born in the USA」をもじって、「Burn in the USA」と炎上中(怖)。

 

劇場側は州の指示を受けたとしており、唯一の例外は16歳以下の子供で、こちらは陰性証明提出+ワクチン接種が完了した大人同伴であれば入場可となっています。

 

私よく知らなかったんですが、アストラゼネカ製ってアメリカで承認されてなかったんですね。予防や重症効果は非常に高いということなんですが…。

 

しかし、こんなルールになると、ますますファイザーかモデルナじゃなくちゃいや、っていう心理に人々がなっていくような気もします。日本の場合はすでに両ワクチンを大量確保していますので心配はないと思われますが、ワクチンの種類による格差が生まれるのはなんとも困った事態ですね。

 

 

 

欧米と大きく異なる。日本でポピュリズムが振るわない理由

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kalhhによるPixabayからの画像

海外から教えられる日本の話って、的を得ていないものも結構あるんですが、日本人だけど知らなかった、なるほどなぁと思うこともたくさんあります。本日は中東のアルジャジーラの記事。いまいち立ち位置が分からないメディアなんですが、たまに仕事のソースとして使っています。

 

www.aljazeera.com

 

書いているのは日本在住のジャーナリスト、マイケル・ペンという方です。いきなり中曽根さんの写真で入ってきたので何かなと思ったんですが、どうもボトムアップ政治といわれる、大衆の中から上へ働きかけていく政治は、中曽根時代に消滅したということらしいです。

 

中曽根首相(当時)は、1987年に国鉄民営化を実現。その過程で強力な国鉄労組は壊滅したということ。そして1980年代終わりまでに、日本のほとんどの労組は日本労働組合総連合会(連合)の傘下に再編されました。連合は30年以上の歴史の中で大規模ストを支援したことのないおとなしい労組であり、ささやかな要求で満足してきたということです。

 

中曽根氏の期待通り、労組を手なずけたことで10年も経たないうちに野党第一党社会党が崩壊。選挙運動に動員できる組合員のバックアップがなくなり、ビジネス界、専門家組織からの政権与党へのサポートに対抗することができなくなりました。

 

これにより、反体制的政治運動が成長し発展する余地があった時代は、日本政治においては終わりを告げました。だから、世界で起きたポピュリスト運動が、日本を素通りしてしまったんだそうです。うーん、策士中曽根にやられた、って感じでしょうかね。

 

これで終わりではなく、お話は続きます。

 

まずポピュリズムとは何ぞや、なんですが、実は定義はないということ。一般には、政治指導者が腐敗したエリートと戦う国民の代表として登場してくるというシナリオなんだそうです。しかし日本の政治システムには構造的障害があり、これがポピュリスト政党登場を難しくしていると西南学院大学のクリス・ウィンクラー氏が指摘しています。

 

日本の政党は自民党を除き、国政レベルの政治家だと意見の違う人々との妥協を余儀なくされ、選挙に勝つために他の小政党と協力することも。そして、与党も派閥があるため妥協を求められ、ストレートに我が道を行くこともできないシステムとなっているというご指摘です。

 

ということで、トランプ氏のような人物は日本では絶対に勝ち目はないとウィンクラー氏は主張します。自民党がそんな人に我慢できるわけはなく、完全なアウトサイダーが勝てるわけはないということです。また、テンプル大学ジャパンキャンパスのマイケル・チュチェック氏は、金で政界への道を買うことは日本ではできないので、トランプ型の登場は期待できないとしています。

 

そうなのか。でも孫さんや前澤さんならやればできそうな気も(笑)。

 

実は選挙制度だけの問題ではないという意見もあるそうです。シンクタンクアメリカ進歩センター、アジア担当シニアフェローのトバイアス・ハリス氏は、選挙制度はルールであって、国民の求めに応じて政党システムも変わるはずと主張。日本でポピュリズムが振るわないのは、年金、失業手当、皆保険などの社会的セーフティネットがしっかりしているため、深刻な貧困があまりない、または目に見えないからではないかとしています。

 

ウィンクラー氏は、過去20年で日本の不平等は増加傾向にはあるものの、アメリカのレベルにははるかに及ばないと指摘。経済的に苦しくなっている人が多い割には、ほとんどの日本人は自分は中流と思っていると述べています。なるほど。ということはみんなで下方に向かったため、中流のハードルが下がった結果、「みんなと一緒=まだ中流」が維持されているということでしょうか。

 

さらに、欧米のような金遣いが極端に派手で、超豪邸や人里離れた隔離された警備付きの場所に住むような大富豪は日本には少ないと同氏は述べ、そもそも平等、相互協力を重んじる日本では、富を誇示することは社会的に受け入れられないと解説しています。確かに、最近ネットの監視も厳しくなり、そういう生活をしているとものすごいバッシングを受けそうです。というわけで、同氏は、最近「上級国民」などという言葉が流行っているものの、国を支配する「1%」の欧米的議論は、日本においては主流ではないとしています。

 

もう一つ日本の特徴は、欧米で広がる都市部と農村部の格差があまりないことだそうです。ドイツ、デュイスブルク・エッセン大学のアクセル・クライン教授によれば、自民党が地方を存続させるため、多くの資金を投入。これにより、地方の日本人は、欧米の農村民のように「忘れられた人々」にはなっていないとしています。

 

ハリス氏は、もし日本に都市と農村の分裂があるなら、田舎の人が都市のエリートに向けたものではなく、都市の苦境に立つ人々が、田舎を拠点としたエリートに対し立ち上がっていることだ、と述べ、逆のポピュリズムになっている可能性を指摘しています。よって、田舎の怒りがポピュリズムにつながる欧米型にはならないということらしいです。田舎を拠点としたエリートっていうのがよく分からないですが、なんとなく理解はできます。

 

で、最後のポピュリズムにならない要因ですが、これはズバリ、日本の外国人・移民社会が非常に小さいせいだそうです。人口の2.3%しか占めていないため、政治議論の中でほとんど無視されると。上智大学のティナ・バレット氏は、欧米では反移民感情がポピュリズムにつながる重要な要素と指摘し、人口減少の日本では移民に仕事を奪われるという危機もなく、むしろ労働力不足としています。

 

ここは一応移民受け入れに舵を切ったとしている日本社会にとっては今後問題になるところかもしれないですね。難民問題なんかを見ていても、外国人に対する寛容さや忍耐度は低いので…。

 

もっともこれまでポピュリストを代表する政治家は、日常的にいたと記事は指摘し、小泉純一郎元首相、小沢一郎民主党党首を上げています。しかしハリス氏は、国家レベルの日本のポピュリズムはその後死滅したと指摘。民主党政権の失敗で、一般人は、日本をより自立的で社会的に活気ある国にするという前向きな政治変化を期待することに疲れ、安倍晋三氏の復活へとつながっていったとしています。

 

一方ローカルレベルではポピュリストはいるとずっと出ているとされています。元大阪市長(府知事)の橋下徹氏、河村たかし名古屋市長、田中康夫長野県知事小池百合子東京都知事など。しかし他国のポピュリストとは全く異なるとベレット氏は述べ、日本の場合はいずれも体制側の人物だとしています。そうですね、明らかに極右とか共産主義者みたいな政治家は選ばれていません。

 

で、また最初の中曽根さんの話に戻ってくるんですが、結局1980年代に労組が淘汰された後はそれに代わるものは出てこず、主流から外れた世界観を組織的に育むことができなくなったということです。自民党は1955年以来ほぼ一党独裁に近い形で日本を運営しており、クライアンティズムと呼ばれる、サービスや物品を期待して投票させるような政治スタイルで続いているということです。

 

このような構造的支配は、本来なら左派で活動するはずの多くの人々のファイティングスピリットを失わせたとクライン氏は指摘。さらに提供されたそれなりの生活に落ち着いて人々が政治に目を向けなくなっているようだと述べています。若者に協力、妥協、他者への依存を優先させる教育も貢献してしまっているとし、「日本人は自分の意見を表明し、それを論じるという育てられ方をしていない」と見ています。

 

まとめると、現代日本でのポピュリスト政治の弱さは、制度的バリアや反体制的な政治のためのプラットフォームがないことに加え、教育の仕方にも起因するということです。クライン氏は、「自分の意見が正しいと確信し、それを外に伝えたいと思わないのなら、そして自分についてきて同意することを他者に望まないのであれば、そこにはポピュリズム推進のための燃料はない」と結論づけています。

 

ポピュリズム不振というよりも、全部読むと日本人の政治への無関心というお題だった気がしますね。極端な話、政治に関心があれば、ポピュリズムが支持されて当然ということなのかもしれません。私は選挙には毎回行っているんですが、もうそれだけではだめなのかなあとも思い始めています。ただ、私一人でどうすればいいんだ、という気持ちもありまして、日本の将来、少し悲しくなってしまうのでした。