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アメリカはアフガニスタンで何を間違えたのか?9人の識者の見方

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Amber ClayによるPixabayからの画像

アフガニスタン情勢、日々ニュースが出ていますが、本日をもってアメリカは、撤収完了となりました。

 

現地に混乱を引き起こしたまま、予定通り出て行ったわけですが、ウォール・ストリート・ジャーナル紙でこんな記事を見つけたので読んでみました。www.wsj.com

8月21日に更新された記事ですからそれ以前に出ていたものと思われます。複数の識者が「アフガニスタンで何がうまくいかなかったのか」について各自の意見を述べております。全員は知らないんですが、かなり有名な方々のようですね。なんと全部がっつり批判でした(涙)。長いので、DeepLさんとのコラボのザクっと訳で(そんなにずれてないと思います)それぞれご紹介します。

 

1. ダニエル・プレトカ(保守系シンクタンクアメリカン・エンターブライズ研究所シニアフェロー)

 そもそもアメリカ人は良い悪い、勝ち負けなど白黒をはっきりつけたがる。「より良い現状を維持する」というのは、我々にとって強い呼びかけではない。

 アフガニスタンではうまくいかないことがたくさんあったが、過激派に国を渡さないという取り組みにとっては致命的なものではなかった。一定の成果にも関わらず、この10年以上、アフガニスタンでの戦いが価値あるものだとし、アフガニスタンの進歩を称賛した大統領はいなかった。テロリスト復活の時代に戻るのを遅らせ、アメリカ人の安全を守るため犠牲を払ってくれているのがアフガニスタンの人々であることも誰も思い出させてくれなかった。数千人の兵力があれば我々は安全だと言い切れる指導者もいなかった。

 その代わりに、バイデン大統領は、20年たっても勝てなかったのでもうやめようといった。しかしアメリカは一度勝ったあとに負けを選んだのだ。我々は必然的に、自分たちの安全のためにまたアフガニスタンに戻ることになるだろう。

 

現状維持がなんでできなかったのか、ということでしょうか。筆者が保守系ネオコンというところは注意ですが、一理ある。撤退後、安全保障的に方針転換せざるを得なくなり、またアメリカが戻ってくるという考えのようですが、そこについての詳細は触れられてないです。

 

2. スティーブン・ウォルト(ハーバード大学ケネディ行政大学院教授)

 アメリカが失敗した大きな理由は二つある。アフガニスタンを西洋式の自由民主主義国家にするというミッションが無理だったこと。そしてアフガニスタンでの作戦を実行した側が、進捗状況と成功の見通しについて嘘をついていたことだ。

 アフガニスタンを我々のイメージで作り直すなど、愚かな行為だった。外国が押し付けた政権交代が民主主義につながることはほとんどない。特に貧しく、文字を読めない人がほとんどで、民族的に分裂し、紛争が絶えない世界ではそうだ。アメリカはほとんど理解できない国で壮大な社会実験を引き受けてしまった。一方タリバンは地域社会に溶け込み、隣国パキスタンの支援も活用。この状況下では勝利の戦略を立てるのは不可能だった。

 勝ち目のない戦争だったのに民主党共和党政策立案者や軍の幹部は国民に事実を伝えずメディアも彼らの明るい評価にほぼ意義を唱えなかった。米軍兵士とアフガニスタン人に代償を払わせたのに責任者は責任を問われていない。この20年間の悲劇が、外交政策エリートの過ちを露わにしたと言える。

 

ちょっとアフガニスタン人を見下した見方ですが、アメリカにはかなり辛辣ですね。ウォルト氏は、軍事介入主義に反対で、アメリカはオフショアバランサーとして絶対に必要なときしか干渉せず、軍事的プレゼンスは最小に維持すべきという考えの持ち主だそうです。

 

3. エリオット・A・コーエン(ジョンズ・ホプキンズ大学教授、元米国務省顧問)

 アフガン戦争の間、アメリカの指導者たちはこの国の社会や歴史のみならず、自分たちの政策の有効性についても関心を示さなかった。欧米の官僚たちはただ仕事をこなすのみで、腐敗のないアフガニスタンの治安部隊を育て、長らく維持するという最も重要なことを脇に追いやった。

  欧米諸国は、犠牲者がほとんど出ず軍隊への負担が最小限だったのに辛抱することができず失敗した。オバマ大統領が撤退の意思を示したときからアフガニスタン人はそれに気づいており、その後の大統領も同じ考えを示せばアフガニスタン人の士気が低下するのは当たり前だ。

  このような状況なのに、バイデン政権の無能な政治的軍事的計画が作り出した絶望と降伏のスパイラルは、我々が見捨てている人々への軽蔑と彼らの運命への無関心と同様に憂鬱だった。アフガニスタンでの任務は数年どころか数十年かかるものだった。運命だけでなく不注意で愚かな大失策がもたらした結果だ。

 

 オバマ時代からの撤退ありきの姿勢がアフガニスタン軍のやる気を減退させていたというのはもっともな気がします。ちなみにコーエン氏は、ネオコンに分類される人でイランとイラクとの戦争を強力に支持した一人ということ。そして反トランプの共和党支持者でもあります。

 

4. フセインハッカーニ(保守系シンクタンク、ハドソン研究所、南&中央アジア・ディレクター)

 アメリカの失敗は、任務を迅速に終わらせるための1つの計画ではなく、毎年違う年間プランを20年間続けてきたことだ。目的はアルカイダを保護するタリバンを追い出すことだったが、ブッシュ政権アルカイダが衰退すればタリバンも脅威ではなくなると考えた。よってパキスタンでのタリバン指導者の再集結阻止に関しほぼなにもしなかった。

 一方、高度に中央集権的な政府構造がアフガニスタン憲法に書き入れられ、民族や部族に首都での権力のシェアを奪い取ることを強いた。結果的に、弱弱しい中央政府に忠誠心を表すことを強いられ、それぞれの地域で影響力を持っていた部族の有力者は弱体化した。

 パキスタンムシャラフ将軍はアルカイダ幹部の逮捕に貢献したが、アメリカ撤退後を見据え、敵対するインドの影響力への防衛手段として、タリバン支援を続けた。アメリカとタリバンの二股をやめさせようと、援助停止や外交的いじめでアメリカは対応したが、インドへの脅威が勝るパキスタンはそれらに対して動じなかった。

 オバマ政権では、西洋教育を受けたガニ大統領のようなテクノクラートが好まれる一方、地元の影響力ある政治家は「軍閥」として冷遇された。そのため民族や部族の現実に反映、対応した政府が作られなかった。一方、高学歴のアメリカの高官たちは、アフガニスタンの力学が理解できず、安定化のためのアメリカの資源を有効に投入できなかった。

 アメリカの訓練したアフガン軍も、アメリカ基準で作られており、低技術国にしてはハイテク過ぎで、技術的アドバイスやメンテナンスを大きくアメリカの請負業者に依存していた。また撤退にフォーカスしたアメリカがアフガニスタン人将校を急いで昇進させており、成熟したリーダーシップが発揮できなかった。

  これらの問題に対応する代わりに、アフガニスタンについての議論は結局のところアメリカの最長の戦争となったということでまとまってしまった。アメリカが直接撤退に関しタリバンと協議したことでアフガン政府はさらに弱体化し、逆にタリバンの士気を高めた。長期の駐留を心配したために、アメリカは自分たちの戦いの相手とした過激派の手の中に、アフガニスタンを戻してしまったと言える。

 

非常によくわかる失敗の原因でした。アメリカの身勝手で、結局2001年のスタート地点に戻ってしまったというご意見です。ハッカーニ氏は、元パキスタン駐米大使で親米で有名だったそう。そしてパキスタン軍と不仲でした。氏は、イスラム過激主義はイスラム世界に出現した最も危険な考え方だとしています。

 

5. リチャード・ハース(米シンクタンク外交問題評議会会長)

 国家建設は失敗するに決まっていたというのが、アメリカのアフガニスタン政策に対する最も基本的な批判だが、問題はアメリカが国家建設を選択したことではなく、国家建設のチャンスが来てもほとんどそれをしなかったことである。2001年秋にタリバンを追放したあとに国軍の育成を加速させ、パキスタンタリバンの保護をやめさせることが必要だった。私は国務省の政策立案スタッフだった時に、アフガン新政府が領土の支配権を確立し軍隊を訓練するため、米軍と同盟国軍の数を一時的に増やすべきだと提案したが、ブッシュ政権はすぐにイラクに目を向けた。

 このチャンスを逃したために、タリバンはますます強力で活動的になり、政府は戦えなくなった。オバマ政権下での兵力増強は、アフガニスタン政府の正当性と米国内での支持を損なうものだった。

 2001年にタリバンを追放した後、アフガニスタンから簡単に手を引くことも同様に間違っていた。欠陥ある権威者を排除した後、公共の秩序と安全を維持し、脅威を無効化し、アメリカの負担を軽減し、政治的自由と経済的機会を育てることができるパートナーを探す努力をしなかったことが悲劇的な結果を招いた。

 

ハースさんは、大国無き時代の到来を予言したりして賢い方だとずっと思っていましたが、ちょっとアメリカ側からばかりの考えにも聞こえますね。中途半端に介入して都合のいい政権を作れなかったのが失敗だったということでしょうか?民族が複雑に絡みあうアフガニスタンでは、アメリカの理想のパートナー探しは無理だった気も。

 

6. リナ・アミリ(ニューヨーク大学、国際協力研究所シニアフェロー)

 アフガニスタンでの国際社会の活動は、アフガニスタン人が所有し、アフガニスタン人が率いるものであるべきという原則が唱えられていたのに、アメリカと同盟国の目的はテロ対策を中心とした特定の目的を前提としたものあった。

 国際的連携でタリバンとの戦いは行われていたが、アフガニスタン人は生活をコントロールできず、戦争を自分のものとは感じておらず、和平や和解の取り組みについても自分たちが主導権を持っているとは感じていなかった。

 トランプ政権での和平プロセスでも、タリバンは交渉相手をアメリカだとし、アフガン政府との交渉を拒否した。アフガン人の自分たちは当事者ではない戦争のために戦い死んでいるという気持ちを増幅させただろう。トランプ政権がタリバンと二国間協定を結んだとき、アフガニスタン人のためという言葉は幻想として滑り落ちた。

 これではアフガン軍がタリバンとの戦いをあっさり放棄したとしても全く不思議ではない。そして後処理を背負うのはアフガンの人々だ。

 

アメリカための戦争と統治だったことは否めませんね。勝手に乗り込んで勝手に去っていったアメリカの傲慢へのアフガニスタン人の怒りを代弁されてます。アミリ氏は、様々な紛争地域を20年以上に渡って見てきたとのことです。メディアの露出が非常に多いようで、これまで知らなかったんですが、かなりの影響力がある女性研究者のようです。

 

7. エリオット・アッカーマン(作家、元海兵隊員でアフガニスタン駐留)

 アフガニスタンでは、「アメリカ人は時計を持っていたが、タリバンは時間を持っていた」というのが定説だった。アメリカはあらゆる面でタリバンを凌駕したが、タリバンアメリカを追い出すまで待つという能力と意志を持っていた。アメリカは現場の状況に基づいた出口戦略ではなく時間に基づいた出口戦略に固執し、それが最大の害となった。

  20年の戦争は長いが、そのほとんどの期間、アメリカは進捗状況に関わらず撤退を表明し続けた。私はオバマ政権時代にアフガニスタンで戦っていたが、地元の指導者は、アメリカが18か月後に出て行ったあと、タリバンの影の知事は残るのに、どうやって新しい道路計画や女子校の支援ができるのかと尋ねた。タリバンが脅威でなくなるまで私たちはここにいるからと言えていたら、戦争の終わり方は違っていたし、もっと早く終わっていただろう。

  国内、特に政権の汚職もよく語られていたが、撤退までの時間にこだわったことが腐敗の心理に影響を与えてしまった。アメリカの目的のために命をかけることを我々は彼らに求めていたのに、もうじき去ると伝えたことで資源を吸い取ることがアフガニスタン人の保険になっていたのだ。米軍は縮小で、最終的にはタリバンに引き渡されると約束されていたときに、他にどんな選択があっただろう。

 我々はこの期に及んで過去の過ちからの教訓を学んでいない。残された人々を脱出させなければならないが、撤退期限の8月31日は設定済みでミッションは終わらない。

 

結局タリバンの忍耐力に、初めに予定通りの撤退ありきのアメリカはかなわなかったということです。アッカーマン氏は、海兵隊の特殊作戦のチームリーダーとして、タリバン上級幹部捕獲作戦で700人からなるアフガン戦闘部隊の主要戦闘アドバイザーを務めていたとのこと。実際に現地にいた人なので、実情をよくわかっていたようです。時計と時間のくだりは非常に面白い見方だと思います。

 

8. ロイ・スチュワート(元イギリス閣僚、イェール大学ジャクソン研究所フェロー)

 2005年から2011年まで、米と同盟国はアフガニスタンを世界の安全保障上の「実存の」脅威と見て、タリバンを完全排除し、民主的な中央集権国家を作ることを目的とし、兵力と資金をつぎ込んだ。

 しかしバイデン政権発足前にその時代はとっくに終わっており、戦闘行為も終了して2500人の米軍しか残っていなかった。2016年以来犠牲者もほとんど出ていない。国家建設は理想通りにはいかなかったが、女子教育が再開され、人々は健康になり寿命も延び、これまで存在しなかったビジネスや文化を若者がすることもできるようになった。

 バイデン大統領は、このまま持続可能なアメリカのプレゼンスのための新モデルとしてそのまま継続することもできたのに、すべてをひっくり返した。4月まで懸命に戦い続けたアフガン軍は、突如裏切られ支援を断ち切られた。能力の喪失や士気の低下が、軍の完全崩壊を引き起こしタリバンの手に落ちた。

 この問題はアフガニスタンに留まらない。なぜアメリカはわずか10年足らずでその外交政策、同盟関係、利益についての前提をひっくり返し破壊することができるのだろうか?なぜ信頼から極度の絶望と無力感に傾くことができるのだろうか?なぜ忍耐と節度が保てないのだろうか?

 

これも成果はなかったわけではないのに、さっさと見切りをつけて信頼を失うような幕引きをする必要はなかったという厳しい意見です。スチュワート氏は、アフガニスタンに実際に住んだこともあり、英米などでアフガニスタンイラクに対する助言を求められることが多いそうです。オバマ時代の大規模駐留という戦略は地元民を遠ざけてしまい逆効果で、小規模な軍を置いたほうがよいと提案した人物でもあります。

 

9. カーター・マルカシアン(歴史家、元アフガニスタン米軍司令官顧問)

 アフガニスタンでは勝利の可能性は常に低く、出口も非常に複雑だった。このような戦争を泥沼化させないためには、広く前向きな戦略的思考が必要だったが、アメリカは視野が狭く先を見る目がなく、戦費を抑えてアメリカ人の命を救うという選択肢を排除した。

 ブッシュ政権タリバンとの和平交渉を模索し、より有能なアフガン軍を構築していたら、アメリカの負担は軽くなっていたはずだ。オバマ政権では米軍部隊を大量投入し、大きなコストと人的犠牲を払ったが、状況を大きく変えることはなかった。トランプ政権に至っては撤退一辺倒で執行困難な合意を求めたため、今の状況をもたらすことにつながった。

 いずれの政権も先を見ることができず、期待に反した情報を軽視し、低コストでできる予防策を拒否することもしばしばだった。軍はまず戦争に勝つことを求め、次に戦争に負けることを避けた。文官は単一の未来にコミットし、見通し通りにいかなかった場合、不測の事態についてよく考えることをしなかった。

 

とにかく戦争に勝って終わらせようとしたことが、別の選択肢を考えさせなかった。長期的展望なく撤退を急いだことで、今の大失敗につながったという見方です。マルカシアン氏は、アフガン政府が民衆の支持を受けられなかったのは、外国の占領勢力とみなすアメリカが付いていたからという見方を自著で示しています。自分の利益しか考えないアメリカより地元を知るタリバンのほうがまだわかりやすかったということなんでしょうね。

 

本当は数日前に出すはずだったのですが、いろいろ忙しく今日投稿になってしましました。不確かなところもあるかと思いますが、ざっと識者の意見を見回すと、「アメリカはテロ対策のためにアフガニスタンに侵攻したため、そもそも地元の人のことなど深く考えていなかった。自分たちの好きなスタイルで国家建設をしようとしたが、現地についての勉強不足で空回り。うまくいかないならさっさと出て行こうと割り切り、撤退を急いだため今の惨状となった」というのがほとんどの見方です。

 

複数の識者が、少人数で現状維持の駐留&統治をしていれば、何も問題はなかったという見方ですね。実は被害と経費が最も大きかったのはオバマ時代で、以後犠牲者も経費もそんなにかかっていなかったというのは知りませんでした。

 

アルカイダを追ってアフガニスタンに侵攻したのは理解できるんですが、この記事を読んで思うのは、こんなにたくさんの人がアメリカの間違いに気が付いてたのに、なんでこれまで修正されてこなかったんだろうということです。まあみんな後からだったら何とでも言えるということもあるのでしょうが、アメリカも自信はなく迷いに迷いながらアフガニスタンという異文化の中で戦っていたのかもしれません。